アイドル麻雀という幻想

 1988年から1990年前半にかけて、熱病のように流行した脱衣麻雀があった。アイドル麻雀である。麻雀に勝つと実写ともアニメともつかない、当時の芸能アイドルに似せた女の子が服を脱ぐという脱衣麻雀である。いまやすっかり見る影もないが、ある一時期アイドル麻雀はたしかに脱衣麻雀の主流だったのである。ここではその、アイドル麻雀について振り返ってみたい。
 
16色でリアルな女の子
 脱衣麻雀メーカーというのはえてして中小メーカーが多い。そのため、自社で高性能基板を設計する力などない。脱衣麻雀の基板を見ると、あるメーカー(隠すことはないか。ニチブツだよ)の脱衣麻雀は、1998年の時点でもメインCPUが8ビット、しかもZ80だったほどだ。
 最近でこそ大手メーカーの高性能システムボードを使わせてもらえるようになったが、なんでも自社開発の時代にはそのようなことは到底不可能だった。そこでいきおいアイディア勝負となるのが脱衣麻雀の常である。もっとも、ここで言うアイディアとはいわゆる「斬新な提案」(*1)ではなく、他社を出し抜く程度の瑣末なウリを作るという意味なのだが。
 まあとにかくアイドル麻雀は、そんな脱衣麻雀業界の特殊事情から生まれた産物なのである。

アイドル麻雀誕生前夜
 ここでアイドル麻雀が登場した頃の脱衣麻雀事情を記しておこう。1987年にセタから「スーパーリアル麻雀PII(以下PII)」が発売され、それ以前の脱衣麻雀とは確実に一線を画すその出来に競合他社は慌てふためいた。しかし、PIIのアニメーションはある意味強力なグラフィックエンジンによる「力技」で生まれたもの。開発能力も開発コストも厳しい中小メーカーにとって、おいそれと真似のできる作りではなかった。
 そこで他社は正攻法での競合をあきらめ、PIIとはまったく違う脱衣麻雀の提案を行なった。それがアイドル麻雀なのである。当時、脱衣麻雀を遊ぶ客層の中心はサラリーマンであった。サラリーマンにとってどのような絵が希求効果が高いか。それを分析した結果が「アイドル」であったと推測される。アイドル麻雀が登場した時代背景、1986年〜1989年ごろは、バンドブームを前にして最後のアイドル全盛期で、アイドルは当時グラビアやテレビ番組で大いに露出しており、画面にこれら女の子の顔がでて、なおかつ裸が見られるとなれば大いにアピールできると踏んだのであろう(*2)
 しかし、アイドルの実写画像を画面に出すには、当時の基板はあまりにも性能が低かった。え?肖像権?んなものは、もともと脱衣麻雀業界どころかゲーム業界にもありゃあしませんでした。ええ当時は。あの最近やたらとうるさい某ときメモ株式会社だって、思いっきり肖像権無視した「恋のホットロック」「ザ・ハスラー」(*3)なんてのを作ってましたし(あ、この2作、ゲームの出来はいいんです)。


デジタルRGB16色で実写はかなり無理があった。そこでいきおいマンガチックな絵が当時の主流だった。
*1:もちろん斬新な提案はある。スーパーリアル麻雀P2やアイドル麻雀放送局などはその典型である。
 

*2:あくまでも俺の推測である。単に会社に絵描きさんがいなかったという説や、開発者がオヤジで、アニメ絵に免疫がなかったという説もないわけではない。

*3:コナミ

 


16色ながらアナログRGBを採用した結果、なんとか実写を出せるめどが立った。日本物産の「セカンドラブ」でデジタイズ画像が試みられたが、今一つ肌の具合が良くない。
アナログRGB登場
 昨今の基板は最低でも256色、ものによっては1600万色以上の色が出せる。しかし当時の麻雀基板で256色出せるものは少なく、多くの基板は16色しか出せなかった。しかも出せる色の種類が制限される、いわゆるデジタルRGBの基板もかなりあった。これらの基板ではきれいな肌色を出すことは実質不可能。肌色は黄色や白で代用していた。実写画像を表示するとしたら、デジタルRGBでは論外。アナログRGBで色を厳選しなくてはならない。
 当時、アナログRGBで実写画像を使用したのが日本物産の「セカンドラブ」だ。画面を見ていただければわかるが、アナログRGBとはいえ16色(*4)では陰影などマトモにつけられず、あばたのような肌になってしまい、きれいな画像は得られなかった。つまり、実写を取り込むだけではダメ、ということである。
 ではどうすればいいか?その回答がアイドル麻雀なのである。

アイドル麻雀の特徴とは
 ところでパソコンの世界、特にPC−9801を中心とした世界にも「16色グラフィック」の文化があった。しかしPC−9801によるテクニックは、640×400ドットという「広大な」画面を対象とした画法であり、せいぜい320×220ドット、たいていは256×192ドットしかない脱衣麻雀基板ではドットが目立ってしまい少々無理のある画法であった。そこで独自の画法を確立したのがアイドル麻雀というわけだ。
 アイドル麻雀は、16色でリアルな画像を表示する画期的な画法だ。まず背景をなくしてしまった。これにより使える色すべてを女の子に回せ、多少ながら肌の陰影をつけることができた。さらに、スキャンをあきらめイラスト風のタッチにし、多くの陰影を省略することで、さらに色数を減らすことが可能になった。できたものを見てしまえば特に何の感慨も沸かないグラフィックであるが、やはりこの画風を思いついた人間は偉大である。
 なおおっぱいなど脱衣部分は、実際のアイドルは原則として脱がないため想像である。もっとも、一部アイドル麻雀ではアイコラさながらに、ほかのヌード写真から画像を盗んでいると察せられるものもある。このへんはよくも悪くも脱衣麻雀と言えよう(*5)

*4:基板を詳しく調査したわけじゃないから、もしかしたら16色以上あるかもしれない。その辺の話しに詳しい方、教えてください。

*5:まあ、こればっかりは当時の業界みんなであちこちから素材をパクりまくっていたからねぇ……。著作権にうるさい某社だって……ゲフゲフ。

アイドル麻雀の隆盛
 ともあれ1988年、V−SYSTEMが「アイドル麻雀放送局」を発売した。これによりスーパーリアル麻雀一辺倒であった脱衣麻雀に、V−SYSTEMが一矢報いることができた。しかし、PIIにはなくてアイドル麻雀放送局にあった特徴が、アイドル麻雀を崩壊へと走らせるのである。
 PIIの技術は、他者が容易にまねできるしろものではなかった。それゆえにセタは10年の長きにわたってアドバンテージを保てた。しかし、アイドル麻雀放送局の技術は、絵を描くテクニックさえあれば容易に他社が模倣できるものであった。パクれるものは骨までしゃぶり尽くすのが脱衣麻雀業界。競合他社はこぞってアイドル麻雀をパクリ出した。
 結果、セタをのぞくほとんどのメーカーから、アイドル麻雀が発売された(*6)

アイドル麻雀の衰退
 売り上げに大きく貢献してきたアイドル麻雀も、これだけ数が出てくるとそれぞれの作品ごとのインパクトは薄れてくる。どれを遊んでも似たようなグラフィックの女の子が服を脱ぐのだから、極端な話「アイドル麻雀放送局」から買い換える理由がいまいち見つからないのだ。
 アイドル麻雀放送局は、当時としてはかなり完成された脱衣麻雀で、思考ルーチンも比較的良心的なうえ、脱衣麻雀独自のルール「いかさまアイテム」を提唱。特に「得点獲得によるアイテム引き換え」は、後世の脱衣麻雀にも引き継がれる名フィーチャーとなる。
 アイドル麻雀放送局を模倣するのはたやすい。しかし、それを超えるのは容易なことではない。そんな中でもなんとか独自のオリジナリティを出そうと苦慮したメーカーがいくつか存在した。
 ホームデータは、実写画像をコマ撮りしてあたかもビデオ再生のように見せかける努力を「麻雀ビタミンC」「麻雀個人授業」で行った。新参メーカーのユウガは、ボタン連打を行うことで、女の子にいたずらできるフィーチャーを組み込んだ。こういった工夫を凝らすメーカーはいくつかあったものの、大半のメーカーはこれと言った工夫もなく、漫然と適当なフィーチャーを組み込んだアイドル麻雀をリリースしていく。そしてだんだん、市場は冷えていった。


ついに完成した究極の16色画像「アイドル麻雀放送局」。できてしまえば何てことないグラフィックだが、この画像は脱衣麻雀に革命を起こした。


ボタン連打フィーチャーを組み込んだ「麻雀学園」シリーズ。人気はあったがのちに衰退の原因ともなっていく。
 

 

*6:ま、その技術力の高さが災いして今のセタはあそこまでズタボロになってしまったんだろうな。合掌。
 
 
 
 

アイドル麻雀末期に登場した「スーパーマル禁版」。他社との差別化をはかるためにフィーチャーを過激化している。


廉価でアニメーションが実現できるシステムボード「SSV」は、事実上アイドル麻雀の生命を絶ってしまった。
 

転進、撤退、そして
 アイドル麻雀は1991年に衰退する。原因はいくつかあるが、一番の原因は「最大公約数のニーズが変わってしまった」ということである。ジャレコの発売した「アイドル雀士スーチーパイスペシャル」、セタの「スーパーリアル麻雀PW」というアニメ絵麻雀の傑作は、アニメファン層をアイドル麻雀から奪取し、日本物産が提唱した「AV麻雀」は、アイドル麻雀のコアターゲットであるサラリーマンを虜にした。
 突然、アイドル麻雀は中途半端な存在となってしまったのである。加えて、サミー工業(現サミー)やビスコといった新興勢力が、声優付きアニメ絵脱衣麻雀で殴り込みをかけてきた。
 メーカーは生き残りをかけてアイドル麻雀を放棄した。日本物産は究極のアイドル麻雀であるLD麻雀への転身を図り、もともとアイドル麻雀ではパッとしなかったジャレコ、セイブ開発はあっさりとアニメ絵麻雀に転進する。
 セイブ開発にはSTG用に作られた、SPIシステムという高性能なシステムボードがあった。このボードは32768色を出すことができ、他社にはまねのできない艶やかな色を出せる。もともとセイブ開発は「E雀シリーズ」というアイドル麻雀を出していたが、しばらくの沈黙ののち、「E雀ハイスクール」から静止画ながら美しいアニメ絵脱衣麻雀となり、ユーザーの好評を得た。
 ジャレコにも「メガシステム32」という高性能システムボードがあり、人気作家+声優+動画を組み合わせた「麻雀エンジェルキッス」以降、このシステムボードを使用している(VS雀士ブランニュースターズの対戦基板は独自仕様、スーチーパイ3からはセガのNAOMI基板)。
 また、アイドル麻雀を提唱したV−SYSTEMも、アニメ絵麻雀への転進を図る。もともと開発能力に長けたV−SYSTEM。単なるアニメ絵麻雀ではなく、対戦脱衣麻雀という新システム(まあ、日本物産が1987年にちょこっとやってはいるが)を組み込み、大ヒットを飛ばした。
 このように、華麗な転進をとげたメーカーがある一方、ホームデータ、ユウガといったメーカーは次の一手を打つことができず、脱衣麻雀から静かに撤退した。

アイドル麻雀という幻想
 アイドル麻雀はわずか2年の間に隆盛を極め、そして消えていった。まるで幻想だったかのように、今のゲームセンターには対戦脱衣麻雀が跋扈している。アイドル麻雀はなぜ消えてしまったのだろうか。
 最大の理由は「アイドル麻雀放送局」以降、ほとんど工夫のないアイドル麻雀を乱発したことがあげられるだろう。プレイヤーは気まぐれだ。最初はインパクトのあったアイドルの裸だって、数が増えればインパクトはなくなる。それはヘアヌード写真集の現状を見ても明らかだ。ヘアが、アイドル麻雀が「当たり前」のものになる前に次の商品開発をしなくてはならないのに、それを怠ってしまったツケが1992年にやってきたのである。
 また、1990年のバンドブームによって、アイドルそのものがそれほど魅力的でなくなったことも、衰退の理由に挙げておきたい。すでにアイドルでは客を引きつけられなくなったということである。それとすれ違いに黒木薫や松坂季美子らによってアダルトビデオがブームとなり、流行ものに弱い(強い?)ニチブツは、AV女優をモチーフにした脱衣麻雀を制作し、生き残りを図った。AV麻雀やカネコの同じくAVをモチーフにした「ギャルズパニック」は大当たりしたのだ。
 アイドルが幻想だったように、アイドル麻雀もまた幻想だったのだ。

 

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