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   加賀電鉄はこれといった急勾配も急カーブもありません。平均駅間距離は1.4キロで、標準軌という特性も合わせ、電車の特性を最大限に発揮できる線路状況と言えます。
 加賀電の車両特性を決める外的要因は、JR北陸本線です。平均駅間距離4キロのJR線を、小松〜金沢間30分で走る普通電車こそが加賀電のベンチマークです。加賀電列車の標準所要時間は特急24分30秒、普通電車40分30秒です。駅がJRの倍ほどもある加賀電において、所要時間40分30秒を実現するには相応のセッティングが必要となります。
 
 これは加賀電が開業した頃から変わらない考え方です。経済的に早く走るにはどうしたらいいのか。加賀電の足回りは常にこのことを考えています。加賀電は大手私鉄のような潤沢な資金も研究設備もありませんから、市販品を組み合わせ、あとは技術でカバーするというやり方しかありません。加えて白山工場の規模を考えると、ある程度の標準化も志向せねばならず、線形のイージーさからは想像もできないような微妙なセッティングが要求されるのです。
 ここではそんな加賀電車両を、時系列で紹介していきたいと思います。
 
「電気車を用ひて競技を為さん」…1形
▲絵葉書より1形。
 
 加賀電の開業時用意されたのが、1形22両でした。2軸単車でありながら50馬力(37.5キロワット)モータ2台を装備。定格860rpm/2,500kgfで歯数比3.5というのも破格でした。1ノッチ起動でで猛然と加速し、抵抗がすべて抜けた9ノッチ、1,400rpmで平坦線なら時速67キロを叩き出せるわけです。もっとも定格回転数から言ってこの速度域ではトルクがスッカスカなので、上り勾配では10パーミルでも厳しいものがありますが、平坦線が主体の加賀電ではハンデになりません。ホイールベース3,100ミリの2軸車で時速65キロの乗り心地は想像だにできませんが、汽車の倍の駅に止まって汽車よりも速いという電車の特性をアピールする目的もありました。したがって車体も軽量を旨とし、薄くできるところは徹底的に薄くするなどしていたため、走りは最高だったのですが当時の技術では早期の老朽化は避けられませんでした。全界磁運転では車体が平行四辺形になっていたのが見た目でもわかるほどだったと言われています。
 当時の新聞に「その走りたるや荒馬のごとし、加賀電鉄は電気車を用いて競技を為さんとするか」と書かれるほどでした。加賀電はまさに「北陸本線と競技をすることが可能な電車」を設計コンセプトにしていたのです。こうして「スプリントレーサー」加賀電の歴史が始まりました。
つまり加賀電は創業以来インターバンであるということですか
雀百まで踊り忘れずといいま〜す
それを言うなら三つ子の魂百まででしょうが
どっちでもいいです。で、加賀電鉄は最初から都市間輸送専門で貨物輸送などは考えていなかったという理解でいいんでしょうか
イグザクトリー! 加賀電は北陸線と路線が完全平行しているので貨物輸送は最初から考えていませんで〜した
輸送品目を旅客に絞ることで、脆弱なインフラで効率のよい輸送を目指しています。それゆえの軽量設計ですからね
そもそも遠距離に荷物よこすなら、最初から国鉄に頼むし、近距離なら自分で運ぶからどの道加賀電の出番はないわね
たしかに
つまり国鉄さんが百貨店なら、加賀電は専門店というポジションです
国鉄がキー局なら、加賀電は専門チャンネルって感じね
国鉄が水族館なら、加賀電は回転寿司で〜す!
…いや最後のは違うでしょ
 
スプリントレーサー…70形

▲軽量かつ簡素な装備で経済的に高性能をなしえた70形

 加賀電は当初より電気鉄道として開業し、重量貨物などの輸送は最初から考えていませんでした。そのため線路の規格は北陸本線より数段劣る(37キログラムレール)ものでしたが、2軸単車の1型が最高速度45キロ(実際には65キロ程度まで出ていたようですが)で走る分にはこれでも十分でした。
 時は流れて架線電圧が600ボルトから1500ボルトとなり、電車も2軸車からボギー車とすることになりました。このとき関西では、大馬力モータにものを言わせた高速車両が流行でした。しかし加賀電が昇圧時に用意した70形はモータ出力わずか37.5キロワット×4の日立製作所製HS-302でした。路面電車用のモータでしたが定格回転数840rpmとそこそこ回ること、それでいて路面電車用ということもあって低速のトルクが強いという特性が加賀電にぴったりでした。
 また、路面電車用の標準品として価格もこなれており、そして何よりも当時のモータとしては小型軽量であったことも採用の決め手となります(なお、約半数の70形は資材不足により1型電車のモータを流用しています)。加賀電当時の最高速度50キロという条件下では、大馬力モータ装備による高速運転ではなく、軽量車を使った軽快な運転を志向したわけです。この精神はこの後、200形をのぞくすべての車両に受け継がれます。
 閑話休題。70形はHS-302を歯数比3.8で回します。低速トルクに物を言わせたハイギアードの選択ですが、定格速度は34.9キロ。9ノッチまで引っぱれば65キロは射程範囲内となりました。端子電圧は600ボルトなので、モータは2台直列×2群。制御段数は9段と標準的ですが、発電ブレーキを装備しているのが珍しいかなと思います。
 70形の足回りはずばり路面電車のシステムを使っています。ですからブレーキもシンプルなSM-3ですが、さすがに時速65キロからSM-3一発止めというのもどうかということで、路面電車では非常用としている発電ブレーキを常用することになりました。こういったセッティングが功を奏して、70形の走りは非常にメリハリのあるものとなったのです。また、電制常用と割り切ったことで、構造上エアの伝達時間がかかり、連結運転には向かないSM-3(後に非常弁を装備してSME)でも、4両編成を組んでの運転を行えるようになりました。
 路面電車の軽量簡便な足回りを使う関係上、車体も徹底的な軽量化が図られました。車体幅は当時の小松〜能美間の道路幅員から2.4メートルと算定されましたが、収容力を少しでも高めるため14メートル級のボディを装架。そのままだと重量がかさむのでホイールベースを8,200ミリという極端に内に寄せたデザインを取っています。こうすることで台枠の部材が簡素化され結果軽量化がかなうわけですが、弊害としてオーバーハングが3,000ミリにもなってしまい、運転台付近は激しいローリングに見舞われることとなります。ヨーイングやピッチングの吸収は台車が通常行いますが、台車も帯金を組み合わせた簡素なもので、軸ばねはあってなきが如し、枕ばねの板ばねを極力やわらかくすれば激しいローリングに見舞われ、硬くすればピッチングがとんでもないことになってアクスルメタルが激しく磨耗するなど、とんでもないじゃじゃ馬となってしまいました。床下機器のスペースが当然圧迫されたため、比較的軽いエアタンクを車端部につけて重量バランスをとったことも災いし、時速40キロ以上の乗り心地は褒められたものではありませんでした。

▲保存車両の70形87号車と現役の100形を並べてみました。100形が車高4.050ミリ/パンタ折り畳み高さ4,250ミリなのに対して、70形は車高3,750ミリしかありません。そのためパンタ台がやぐらのようになっているのが特徴です。

 それでもできるだけのことはしようということで、重心を落として少しでもローリングを防ぐことにしました。外板は1.6ミリ厚の薄板を使用し、車高を加賀電標準の4,050ミリではなく3,750ミリまで下げて軽量・低重心化。屋上はパンタグラフとメインヒューズ、アレスタのみというシンプルさ。窓も戸袋を作ることを避けるために下段上昇の一段窓となりました。徹底した軽量化が功を奏し、70形はわずか19トンという軽量化を達成。車内が狭苦しい、乗り心地が悪いなど些細な欠点はありましたが、駅間距離1.4キロを効率よく走るスプリントレーサーに恥じない車両となりました。
 その取り回しのよさから70形は22両も量産され、トレーラーの60型を合わせると32両もの大所帯となりました。60型は70形から電装品一切を外しただけのトレーラーで、自重15.5トン。MT編成も平坦線なら一応可能ですが、野々市の25パーミルは正直苦しいのでMTMもしくはMMTMの3〜4両編成を組んで1977年まで活躍しました。
 制御器はHB。一応HS-302には界磁弱めの巻線が出ていましたが、加賀電の貧弱な線路で900rpmオーバーの回転はフラッシュオーバの危険もあって採用されませんでした。とにもかくにもM車19トン、T車15.5トンの超軽量車ですのでHB-302は路面電車出自とは思えない軽快な走りを見せ付けました。もっともその軽快さは高速域でのトルク不足という欠点をうやむやにしたものであり、晩年はフルステップ入れても67キロで頭打ちとなる高速性能の欠如が足かせになりました。

加賀電唯一の保存車両、70形87号車。1977年の引退の際に最後まで残った4両のうちの1両です。車籍こそありませんが弱電系は生かした状態になっているので、イベントなどでHS-302の軽快な音を楽しむことができます。

考え方としては、スポーツカーみたいなもんね。軽く作って小さなパワーで動かす
重いものを動かすとエネルギを余計に使うからですか?
それもありますが、地上設備が貧弱なので重い電車を走らせられませんでした
37キログラムレールでしたっけ
そうで〜す。軽便な設備で高速な電車を走らせるから利益が出る。これが電鉄なので〜す
そういうもんですか……
小さな力で軽いものを運ぶなら電気代も安いし線路も安くて済む。加賀電はインターバンである一方、ライトレールでもあったのよ
これを、日本では「濡れ手で粟」言いま〜す
いや、ちょっと違う気がしますが…
とにかく軽ければ装備あ小型で済む、そうすれば同一出力で性能が向上するのでよいことずくめなのです。
もちろん物理の世界はいいとこどりなんてできないから、失うものも多いんだけどね。
70形は何を失ったんですか?
高速域のトルクね。もうMB-98Aに取り替えたけど、HS-302のころの救援車911形が荷物載せると30キロから回らないのね。トルクがないからそこで均衡しちゃう
以前600形が制御機故障で新小松駅から動けなくなった際、911形が救援車として600形を牽引しようとしたのですが、加賀電最大の難所である新小松〜白江間の34パーミル&450Rを登れませんでした
450Rでの走行抵抗は勾配での10パーミルに相当するから。そりゃ無理ってもんでしょ
で、後続の500形に押してもらったんでしたっけ
救援車が救援されたという情けないことになったのよね
これをミイラ取りがミイラになるといいま〜す
911形はミイラというよりゾンビだけどね。さっさと廃車してよ
そっちですか…

救援車911形は70形の改造車ですが、すでにモータをHS-302からMB-98Aに載せ換えているので、往年の甲高いサウンドを聞くことは残念ながらできません。ていうかあまり911形が走るような事態は避けたいのが加賀電の本音でしょう……。

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