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  性能は申し分なかった…50形

▲60型を挟んだ50形。

 70形(60型)は軽量・軽快というコンセプトの元では明快なクルマですが、高速域でのパンチが足りないのはいかんともしがたいものがありました。そこで将来の急行運転を見越して70形のパワーアップバージョンとして生まれたのが50形です。
 50形も軽量・軽快を旨としていますが、異なる点は高速域の伸び代を大きくするということです。それを達成するにはどうしたらいいか。いくつか方法はありますが、50形では車体をさらに軽くする、モータ出力を向上するという2点を重視しました。
 まず車体ですが、北陸鉄道金沢市内線の乗り入れを考慮して、金沢市内の幅員から2,200ミリとなりました。全長も70形より短い12メートル。ホイールベースは70形と同じ8,200ミリですから乗り心地は(オーバーハングが詰まった分結果的に)向上しました。屋根高さこそ70形(圧迫感があって不評だった)よりも高い3,900ミリですが鋼板の節約で鋼体重量を稼ぎ、70形以上の軽量化を達成しています。
 モータは70形の37.5キロワットに対してなんと倍の75キロワット×4。三菱電機製MB-98Aを装備していました。MB-98Aの定格回転数は890rpmとHS-302と大きく変わりませんが、その代わり低速のトルクは比べ物にならないほど大きく。歯数比を2.6とローギアードに設定し、定格速度は54.1キロ。並列9ノッチで時速80キロを軽くマークできるばかりでなく、70形と同じ最高速度65キロでよければMTTの経済編成も組めました。その代わり低速の軌道は車体軽量化を為しえた分を差し引いても70形よりやや重く、もし当初の計画通り金沢市内線に直通した場合、ストレスのたまる走りになったのではないかと推測されます。実際50形は急行をメインに使われており、その使用方法においては理想的な走りとなりました。
 また、終戦後の一時期はMTT編成を組むため歯数比を70形と同じ3.8にしてMTT編成を運用するなど、余力を引張力に振り分けるといった使われ方をしました。他社では決して評判がよいとはいえなかったMB-98Aですが、加賀電ではトルクの出方が路線にぴったりだったのか(高速域でのトルク不足は平坦線の加賀電ではハンデになりません)、後のMB-3110やMB-3020、VVVFでも100形のMB-5020や200形のMB-5059など、加賀電は三菱電機のモータや制御機を積極的に採用するようになります。なお、ブレーキは70形と同じSM-3。後に非常弁を設置してSMEとなります。

▲半流線型の正面が特徴的な50形。車体幅の関係から運転台は貫通扉の位置にあります。
 

 70形と50形の登場で、加賀電の車両の性格が明らかになりました。低速域高トルクのモータに適切な歯数比で減速をかけて最高速度を決定。高速域は平坦線主体なのでトルクはそれほど要求せず、車体の軽量化で対応するという感じです。はたしてこれがデザインとして正義かどうかはわかりませんが、加賀電は国鉄車両などと違い小松〜金沢間せいぜい30キロの平坦線を走ることにだけ集中すればよく、汎用性は潔く捨てられています。このあたりが国鉄車両とは異なる文法といえるのではないでしょうか。実際70形に33パーミルを登坂させたらかなり苦しいと思います。
 このように性能面では満足のいくものになった50形ですが、いざ急行運用に就いてみると、70形よりも小さな収容力がネックとなりました。そこで大馬力を活かしてMTMやMTTの3連での運転でしのぎましたが、増え続ける旅客に対応できる収容力ではないため、機器を30形に譲って早々に廃車となりました。なんだかんだで70形が1977年まで使われたのとは対照的です。

▲70形よりも全長が詰まった50形。金沢市内線の急カーブをクリアするためオーバーハングをつめたばかりでなく、半流線型にして直角カーブでの建築限界をクリアしています。


▲70形と並べるとオーバーハングの差がよくわかります。また、圧迫感があって評判のよくなかった70形の低屋根構造も改められています。

結局金沢市内線直通は頓挫したんですよね?

はい。戦争でそれどころではなくなってしまいました
貨物と違って人間は乗換えができるからね
で、目論見が外れて2,200ミリ幅が仇になってしまったと
捕らぬ狸の皮算用で〜す!
いや、意味違うしそんな嬉しそうに言わなくても
正直な話、野町はターミナルとしては場末過ぎたので香林坊あたりまでは直通したかったんだそうです。インターバンの本領を発揮したかったんでしょうね
ところで金沢市内線と加賀電はゲージが異なっていませんでしたっけ? 3線軌道にでもするつもりだったんですか?
MB-98Aは狭軌用のモータです
!!
そう。市内線直通がかなうなら狭軌化も視野に入れてたのよね
そこまでして金沢市中心部に乗り入れたかったんですか
本当は自前の線路で市内に入りたかったので〜すが、金沢市内線が目の上のたんこぶでしたからね〜
不要不急路線を外しているさなかに、平行路線なんて認められないからね…
あわよくば乗っ取ってやろうとおもってたわけですか
そうしたら逆に、加賀電が北陸鉄道に吸収されました
まさに、ミイラ取りがミイラになりました〜
…もしかして、ミイラお好きですか?

さまよえるスプリンター90形

▲当時加賀電は2枚窓の電車が流行していました。東京の「湘南型ブーム」が伝言ゲームのように遅れて石川県にやってきたわけです。いわゆる非貫通2枚窓の正面スタイルもどこか垢抜けないのは、伝言ゲームゆえでしょう。

 50形と70形は終戦直後の混乱期を十二分の活躍で下支えしてくれましたが、車両が小型ゆえに輸送力に難があるのは誰の目にも明らかでした。そこで北陸鉄道(1945年〜1960年は戦時統合により北陸鉄道加賀線)は、加賀線用の新型車両90形92型を製造します。全幅2744ミリ、全長17500ミリの地方私鉄としては大型の部類にはいるボディをどのように駆動するかが課題となります。
 当時の北陸鉄道は名鉄と浅からぬ関係を持っていたので、部品の一部を名鉄から融通して90形を作ろうと考えていました。加賀線としては輸送力の増強になるなら出自は問わない(そもそも北陸鉄道が鉄道への投資にあまり熱心ではなかったため、とにかく新車をくれるというのであれば御の字。贅沢は言ってられませんでした)のでとにかくクルマをよこせといったところでした。
 で、名鉄は当時、木造電車を鋼体化した3700系を作っていましたが、その元ネタとなった電動器や制御器の一部を北陸鉄道が譲り受け、加賀線用90形を作るということで話がまとまりました。いや〜な予感がしないでもありませんでしたが、とにかく車両を作ってくれるならありがたいということで1955年に、90形の第1陣4両が加賀線の本松任工場にやってきました。
 さて、名鉄の75キロワットモータのストックにはTDK-528、WH-556J6、SE-132C、MB-98Aの4種類がありました。まあこの中でいちばん素性のよいTDK-528(その気になれば1,100rpmくらい回せます)は名鉄AL車に持っていかれるのはしかたないとして、加賀線としては定格985rpmのWH-556J6やSE-132Cあたりを心の中では希望していました、しかし、田舎私鉄の加賀電にやってきたのは定格890rpmのMB-98A。名鉄はMT比1:1で時速80キロくらいの運転を自社線内で計画していたので、高回転型のWH-556J6やSE-132Cを優先的に名鉄3700系に装荷し、高速運転に向かないMB-98Aを加賀線よこしたわけです。北陸の田舎私鉄なんだから時速65キロも出れば十分だろということなんでしょうが、なめられたもんです。
 MB-98Aは加賀電50形で実績のあるモータではありますが、それは12〜14メートルクラスの軽量ボディにおいての話。17メートルクラスの90形には、ましてやMT編成では完全にパワー不足です。カタログスペック上はTDK-528、WH-556J6、SE-132C、MB-98Aのいずれも75キロワットですが、特性がまったく異なります。中でもMB-98Aは17メートルクラスの車体を装荷した場合、高速運転には絶望的に向いていませんでした。
 

▲新型車両とはいえ、鉄道部門に潤沢な予算をかけてくれない北陸鉄道ですから再利用できるものは何でも再利用しています。トレーラー台車も名鉄かどこかかであまっていたものを唐竹割して標準軌に無理やり対応させたものです。時速60キロくらいならこれでもいいのですが、さすがにこれで106キロ運転は問題があるということで、後年台車は履き替えられました。

 MB-98Aはモータの絶縁があまり大電流に耐えうる設計ではありません。なので低速はトルク任せで2.8程度の低い歯数比で乗り切り、何とか80キロまで引っぱることも考えられましたが、そうなるとMT編成はかなり厳しい。弱め界磁の端子は付いていますが、貧弱な加賀線の路盤で弱界磁運転はフラッシュオーバの危険と隣り合わせです。現在の加賀電は路盤の厚さ40センチ、レールはPC枕木でがっちりと締結した50キログラムレールですが、当時の加賀線は路盤は30センチ未満でペラペラ、木枕木に37キログラムレールを打ち付けた貧弱なインフラでした。これでは弱界磁どころかギアリングを大きく取ることも困難です。
 結局歯数比は3.85という線路が許すギリギリのハイギアードとして、定格速度までの加速力1.7キロ/秒、定格速度36.5キロ。最高速度65キロというところに落ち着きました。TDK-528なんて贅沢は言いませんが、もしモータがSE-132Cなら定格速度を40.4キロまで引っぱれるわけで、加賀線の人たちはせっかくの新型車両でもパワーがこれでは……と落胆したそうです。もっとも名鉄は最初、TDK-516(60キロワット)を寄越そうとしたらしいですが。

▲通勤需要にもある程度対応できるよう、扉は幅1,400ミリの両開き。名鉄3730系に似たような側面となっているところが北陸鉄道らしいなという感じです。しかし足回りは名鉄が気を利かせてくれたのか、加賀線が標準で使用する三菱製のMB-98AモータにHBFの制御器です。

 アンダーパワーでも90形は大輸送力の新型車です。90形のMT2両編成で70形のMTM編成に匹敵する輸送力があるため、ラッシュには頼りになる存在でした。高速側のトルクが貧弱とはいっても、10パーミル上り勾配で40キロ程度は速度を稼げるので、普通電車への充当には問題ありません。もっとも急行に使う際は50形なり30形をを1両連結しないとランカーブに乗れなかったようですが。
 車体は17メートル2ドア。車体幅は70形の2,400ミリから2,744ミリに拡大され、収容力は70形の1.5倍以上となりました。インテリアは平凡なロングシートですが、照明は蛍光灯を初採用。性能面での不満はあれど、旅客には好評を持って受け入れられました。
 90形は結局MT2両2編成が製造されただけで打ち切り。北陸鉄道は鉄道への投資をさらに渋るどころか路線全廃まで打ち出すようになります。もともと北陸鉄道と折り合いがよろしくない加賀線の本松任工場は、在来車両の機器を流用して車体を大型化することでしか輸送力の増加に対応できなくなります。加賀電独立までの20年はまさに暗黒時代でした。

▲改造後の90形はMTTの3連で運用されました。2M1Tならなんとか高速域にも対応できると踏んだわけです。制御器もHBFなのだからと更新時に弱め界磁を復活させて60%弱め界磁で106キロ運転を行っていましたが、走りがどうにも苦しいため晩年は朝のラッシュ時に準急で使われるのがおもな運用となりました。
 

同じ馬でも用途に合わせてサラブレッドと農耕馬がいるように、モータだって用途に合わせたものがほしいのよ。加賀電は北陸本線と巨そうするのが仕事なんだから、農耕馬じゃなくてサラブレッドがほしかったのね
しかし北陸鉄道は馬耳東風で〜した。馬だけに
…あんまりウマくないです
とはいえないものをねだっても仕方がないので、MB-98Aでどれだけ速度を出せるかというセッティングを組みました
(うわ…スルーされた)セッティング次第でなんとかなるんですか
基本はなりません。なりませんが「まあこのくらいかな」というところまでは持っていけます
モータの特性には違いがあるかもしれないけど、どれも75キロワットの力を持ってるんだから、それを無駄なく引き出すようにすればいいのよ
で、どういうセッティングにしたんですか?
まずは道床を厚くしました
は? 
吊りかけの場合路盤が悪いと、車輪からアクスルメタル、そしてモータへと震動が伝わるのよ
以心伝心でーす!
振動が大きいと低い回転でフラッシュオーバが起きる危険があります
なるほどそれで
とはいえ路盤の整備は時間がかかりますので、90形はとりあえずギア比3.85、定格820rpmで想定しました。これによって定格速度は32.9キロ。定格電圧675ボルト電流値140アンペア。オーバーロードをかけて当面は65キロというところで落ち着きました。
低速トルクは申し分ないから、1M1Tでもなんとか1.7キロ程度の加速力は出せるし140アンペアならフラッシュオーバもなんとか防げるしね
昔の電車はたいへんだったんですね
「たいへん」をどう捉えるかですね〜。昔の電車はたしかにセッティングは出しにくかったで〜すが、その代わり取り回しはいろいろ融通が利きま〜す
今の電車はね…走りは素直だけど一度グズるとどうにもならないから
「たいへん」の質が変わったって事ですね
「メインテナンスフリー」とはいえ壊れるときは壊れますから
「メインテナンスフリー」ってのは、メインテナンスは無料でやれという意味で〜す!
この社長はいつか刺さないといけないわね

▲上の画像から20年後、野町〜武蔵ヶ辻間の地下線開業に対応するため不燃化対策とA-A基準準拠のために正面に貫通扉が設置され、正面の表情もがらりと変わりました。加賀電はスタイリングにポリシーがないように思われていますが、あくまでも「環境に対しての最適化」を追求した結果に過ぎないというわけです。

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