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  紆余曲折…30形

 90形は性能にいろいろ問題がないわけではありませんでしたが、輸送力増強という目的には叶っていました。北陸鉄道が新車の製造を抑制しているため、同じMB-98Aモータを装備する50形の機器を流用して、17メートル級の車体を新造することになりました。これが30形です。
 当初は台車も流用する予定でしたが強度的に無理があったためDT-21Sを新造。狭軌用の台車を標準軌用に設計したものですがもとの設計がいいのかたいへん加賀電の線路にマッチしたため、300形や750型など、他の形式にも波及しました(価格も安かったというのも大きいですね)。
 モータはMB-98Aに弱界磁60%付加。制御装置もHBF-104-15A、ブレーキもSMEのままですが、発電ブレーキは省略しています。90形と異なり、単車運行あるいは90形増結用が主な任務ですのでMB-98Aでも全く問題ありません。
 50形では制御電源用のMGを積むスペースがなく、HBとはいえ実質HL(1500ボルトを抵抗で降圧し、直流100ボルトで制御していました)のようなものでしたが、車体延長のおかげでMGを搭載でき、やっと名実ともにHBFとなりました。ブレーキはSME。300形がHSCで登場しているという背景を考えるとSMEの採用は時代遅れにもほどがある感じがしないでもないのですが、使用目的が90形の増結用なのでブレーキシステムを揃える必要がありました。

▲一度に新型車両をそろえる予算がない加賀電は、旧型車両の中から使えるものを選び出し、最低限の改造(という割にはボディの乗せかえとかもやってますが)で、できるだけ予算を抑えつつ、車両の近代化を図りました。
 

 50形は6両ありましたので30形も6両作る予定でしたが、オイルショックで旅客が急増し、20メートル4ドアの700形が投入されたことで加賀電内部に「今さら2ドアというのもどうか」という空気が流れ、30形は2両で製造終了。その後は400形や500形など4ドア車にシフトしていきました。また、2両の30形も90形の増結という本来の役割にはあまり使われることはなく、パワー不足の800形に増結されることがメインとなりました。

▲オイルショックによる業績の立ち直りから、30形の立場は微妙なものとなりました。画像のような本来の目的である90形との連結はあまり行われず、支線用単行運転や800形の増結などがメインとなりました。
 

 1984年の武蔵ヶ辻延長の際は、地下線対応工事を施されることはなく、シャイニングカラーの車両が跋扈する中、ひとり旧塗装で動物園線や学園都市線でがんばっていました。しかし、いくら支線とはいえエアコンもない電車が走っているのもいかがなものかということで、2000年に冷房改造工事が行われ、車体もシャイニングカラーとなりました。床下は単位スイッチ制御器が鎮座しているのでエアコン用の電源を搭載することができず、やむを得ず屋上にSIVを装備することとなりました。エアコンを搭載した関係で重量がかさみ、そうでなくてもパワー不足ぎみだったMB-98Aにはかなりの負担でした。おかげで高速域の伸び代はまるでなくなり、平坦線でも65キロ程度で均衡してしまう有様でした。そのためこの時期はほぼ完全に平坦な動物園線でのみ使われました(学園都市線は新小松地下駅から地上に出る33パーミル区間が鬼門)。
 あまりにもパワー不足が顕著なため、2004年に700形が廃車となると、発生品のMT40にモータを換装しました。

▲冷房化に際し冷房電源の搭載場所を床下に求めることができなかったので屋上にSIVを搭載。こんなひどい改造も2ドアだからこそでしょう。4ドアも穴開けたら車体を放棄しないと強度がもたなかったと思います。

MT40の大馬力により30形は生き返り、運用範囲も広がりました。単位スイッチ式HBF制御で弱め界磁も使える30形は、末期になってやっと理想的な性能を手に入れました。
 しかし、30形は2006年に改正された「技術上の基準を定める省令の改正」第79条第3項の基準を満たしておらず、しかるべき改造をしないと2011年7月以降運用につけないことになってしまいました。すでに20メートル4ドア車が主流になっている加賀電において17メートル2ドア車を延命させる理由はなく、また、HBF-122-15VDHA単位スイッチ制御器がほぼ寿命となっており、経済的・物理的寿命が来たと判断され、2011年10月末に730形、180型が入線したのと入れ替わりで廃車となりました。
 

ちょうど17メートル車から20メートル車への端境期に生まれただけに、残念な結果になったわね
ちょっと質問いいですか?
どうぞ
30形は90形と基本システムは同一ですよね
はい。細部に若干の違いはありますが、HBF単位スイッチ方式でMB-98Aを搭載しているSMEブレーキの車両という点では同じです
で、その同じ90形は地下線直通対応に改造したのに、30形はそのままだったんですか?
武蔵ヶ辻〜片町間はたいへん混み合うことが予想されました
はい
90形は1,400ミリ両開き車でしたが、30形は1,100ミリ幅片開きで混雑対応に向かないので改造を見送りました
でも、同じ片開きでも300形は4ドア改造してまで地下線に入れてますが……
そりゃあ300形は貴重な高性能車だもん
腐っても鯛ですね〜!
あ、珍しくあたってる
改造だってお金がかかります。このときのダイヤ改正で本線系の列車は最高速度が90キロから106キロに上がりました。300形は大きな改造をせず高速化対応が可能でしたし、90形は2M1Tにすれば対応可能でした。しかし、30形は機器をすべて取り替えなくてはなりません
床下変えて車体も4ドア改造したらホラ、だったら30形はそのまま使って浮いたお金でそれ用の新車買おうって思うのも自然じゃない?
なるほど
当時は今とは比べ物にならないくらい景気がよかったというのも遠因かもしれません
老兵は死なず、ただ消え去るのみで〜す!
いやいや消え去ってないから。消え去ったのはそれから27年もあとだから
支線用であればとても使い勝手のいい車でしたからね
いわゆる適材適所ですか
それに比べて180型の使い勝手の悪さといったらもう……
オ〜! 新車に贅沢言いますかマドマゼ〜ル!?
社長、どこの国の人なんですか…?

▲2011年7月からは法令上、動物園線以外を走れなくなってしまったので、寺井〜動物園間の折り返し運用に就いていました。しかし、単位スイッチ式制御器の老朽化が激しく、末期は2両をブスでつなぎ、調子が悪いほうの制御器を殺して1M1Tで運用されていました。大馬力のMT40ゆえに許された荒業です。
 

救世主…700形

 これまでなかなか増えなかった利用客が、オイルショックという政治のいたずらで急増したのが1973年。このときの加賀電は17メートル車と小型の14メートル車がありましたが、14メートル車は輸送単位が小さく、混雑に対応できませんでした。
 そこで当座の混雑をしのぐワンポイントリリーフとして、山陽電車から8両購入しました。これが国鉄63系をベースとした700形です。63系というと戦時設計の粗悪車両というイメージがありますが、加賀電においてはまさに救世主のような存在でした。
 モータは142キロワットのMT40。定格回転数が高いわりには低速の粘りもあり、ギア比3.85で弱め界磁を活用するとMT編成で時速90キロ運転が可能でした。もちろんMB-3020オールMの300形には性能面で劣りますが、なんといっても700形は20メートル4ドア。朝のラッシュ時はその比類なき輸送力と持ち前の大馬力をいかしたMTT編成を組んで大活躍。加賀電の車両に関する考え方を根本からひっくり返しました。700形の投入によって2ドアの30形は製造打ちきり。その後は4ドアの400形や500形を続々と製造するようになります。700形は加賀電の車両史から言えば異端ですが、その異端がスタンダードになってしまうのだから世の中わかりません。
 そんなわけで見た目はともかく加賀電の成長期を支えた700形ですが、電空制御のCS-5は誤作動が多く、またウエスチングハウス/三菱系の制御機器に慣れた加賀電では不評でした。そのため早くに制御器をHBF-184-15HAに載せ換えています(ついでにこのときブレーキもSMEに変更しています)。自動加速のCS-5からHBFでは一見退化に見えますが、300形を除く在来車との連結を可能とするためには必要な措置でもありました。また、HBFは運転士の技量次第では鋭い運転が可能で、巧みなハンドル捌きで雨天の中猛然と加速する700形は、おっとりとした味付けの国鉄車両とは思えない「民鉄車両」となっていました。

▲山電からやってきたばかりの700形。すでに山電では700形の廃車が進んでおり、野ざらしになっていた車両の中から比較的状態のよい8両を譲り受けました。ぼろぼろではありましたが比較的廉価でかつ即納できる車両がこれくらいしかなかったのです。

 1984年、武蔵ヶ辻延長にともない不燃化対策を施した車両でないと地下線を走れなくなるため700形を廃車にするかそれとも更新するか決断を迫られました。加賀電的には性能は申し分ないので不燃化改造して延命することとなり、台枠から下はそのまま流用、車体は元の窓割を生かした上で新造しました。このとき最高認可速度106キロに対応するため、MT4編成をMM2編成に組み直し、ギア比を2.83に落とすことで全界磁までの加速力2.5キロ/秒、最高速度110キロというスペックを叩き出します。MT40の高いポテンシャルを高速性能に全振りし、低速の加速はパワーウェイトレシオを下げて対応というなんとも雑なシステムではありましたが、他のABFM車に伍して、ラッシュ時の急行や日中の普通電車で活躍。HBFのダイレクトなドライブフィールも乗務員にたいへん好まれていました。一方編成から外されたTc4両は軽量車体に載せかえられ、500形のトレーラーとして使われることとなりました。
 このように持ち前の高性能からたいへん乗務員には愛された700形ですが、旅客からの評判は芳しくありませんでした。700形由来の高性能は徹底した機器の簡素化(HBFにしても重たいMGを載せず抵抗で電圧降下して制御電源を作っているほどです)によって為しえたもので、エアコンやそれに伴う補助電源を搭載してしまうと、所定の性能を満たせなくなってしまいます。。そのため2000年ごろになるとサービスレベルの相対的な低下から、新型車両への置き換えが検討されるようになり、結果として2004年に100形電車と入れ替わりで廃車となりました。それでも他の車両のようにラッシュ時のみ出庫するというような晩年ではなく、朝の急行から夜の準急まで、高速性能を存分に発揮してでの勇退でした。
 MB系のモータが幅を効かせる加賀電において、国電由来のMT40は存分にその存在感を発揮し、後の加賀電車両に大きな影響を与えて消えていきました。
 高い見識をもって作られた電車はいつまでも古くならない。加賀電が国鉄から学んだ大事な教えです。

▲更新改造後はMMの強力編成となって急行や準急で活躍。HBFならではのレスポンスのよさが、電動カム車両の500形や600形よりも素直と評判でした。「これでブレーキがHSCなら完璧だった」とはある運転士の弁。 

なんかいい話でまとめてますね…。
実際700形は優れた性能でよく稼いでくれました。
一般的には旧性能車と言われてますが、中小私鉄とはいえシビアなランカーブで知られる加賀電で高性能ってことは相当な性能ってことですか?
平坦線の加賀電において優れた引張力と高速性能は申し分ありませんでした。
HBFってのもいいわよね。あのダイレクト感はABFMでは味わえない。空転してもノッチ戻し1秒で完全復活。発電ブレーキが使えないのが難点と言えば難点だけど。
700形は妙にクルーに好かれていま〜したが、どこがフィ〜リング〜だったので〜すか?
雪の日は700形一択でした
HBFだからですか?
馬力があって全軸駆動、滑ってもノッチ戻しで即回復。除雪車には最高のパフォーマンスだったのよ。700形を知ると300形以外のABFMなんて長靴の上からかゆいところを掻いているみたいで、ねえ。
そういうもんですか
機械やコンピュータが制御を補佐すれば、運転士とモータの間はどうしたって伝言ゲームになります。
もちろんいまのハイテク電車はコンピュータのアシストがなければ動けないから、これはこれで正しいシステムなわけ。
昔がよかったわけでもなく、新しいものがなんでもいいわけでもないのがエンジニアリングです。
適材適所で〜す!
適切なシステムを適切な場所に配置し、最高のパフォーマンスを引き出すのが加賀電のポリシーです。
社長というポジション以外はね!
マイガッ!

▲700形は100形と置き換えられる形で2004年に引退しましたが、最終日も朝は急行運用に就いて最高速度106キロで快走。最後の最後まで第一線級の走りを続けました。


▲700形のトレーラーはステンレスボディを載せて750型として500形の増結用としての道を歩みました。その後2011年にそのうち3両が電装され、さらにそのうちの2両はVVVFインバータ制御の新700形になるなど、誰が予想したでしょうか。

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