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  ワンポイントリリーフ…10形

 1973年のオイルショックは加賀電の旅客数を急増させた結果、これまでの小型車両や17メートル2ドア車ではまかないきれないほどの混雑となりました。それでもなお金沢市中心部の道路混雑はなおかなりのものとなり、音を上げた石川県と金沢市、加賀電鉄が協力して野町〜武蔵ヶ辻間に地下線を建設。将来的には浅野川線も直流1500ボルトに昇圧し、地下線で加賀電鉄と相互直通運転を行うことになりました。
 そのこと自体はめでたいのですが、加賀電は早急に防災基準を満たした車両をそろえなくてはなりませんでした。1973年現在、防災基準を満たしていたのは300形6両と90形4両。これも正面貫通扉の設置などの改良が必要でした。予算との絡みもあり加賀電は新型車両7編成を新造(400形1編成と500形6編成)、300形を2連3本から3連2本に改造、90形を2連2本から3連1本に改造、700形を不燃化対策を施した上で2連4本を2連2本+増結Tc4両に再編成することになりました。これによって対応車両は1編成になりますが、それでもなお5編成ほど所要編成が不足していたため、50形や30形の機器を流用して不燃化対策を施した車体を新造することになりました。これが10形です。
 10形は製造コストがギリギリなので、流用できるものは何でも流用すること、構造は耐用年数を13年程度として極力簡素にすること、ラッシュ時に武蔵ヶ辻〜白山(当時は本松任)間だけを走る専用車両として割り切り、座席数の減少を容認して片側4ドアとして乗降時間の短縮で車両性能をカバーすることなどをコンセプトとし、1974〜1976年の間に5編成を新造しました。
 種車は50形と70形。50形はすでに全6両中2両が30形として生まれ変わっていましたが、いまさら2ドアでもないだろうということで改造中止して4両分を捻出。中間には70形のTである60型から2両捻出し2M1Tを組んだMB-98組を2本作りました。残りの3編成は70形M車9両を潰して機器を流用し、Mc+M+McのHS-302組を3本作りました。
 MB-98Aは低回転型とはいえ75キロワットの出力がありますので、軽量ボディに3.85程度のギア比を組み合わせればラッシュ時の普通電車には十分使える目算がありましたが、HS-302は全Mとしても37.5キロワットではパワー不足はいかんともしがたく、弱め界磁を復活させて巻線を一部直した上で45キロワット相当で使用。歯数比は2.85としました。

▲窓の約半分が開閉できない戸袋窓となり、通気性の悪かった10形。夏はとても蒸し暑く、冬は簡易設計ゆえの隙間風に悩まされました。300形のようにフレームがしっかりしていれば冷房改造もできたのでしょうが、台車を小型車から流用していることもあって車体強度をギリギリまで見切っているのでそれも叶いませんでした。

 制御方式は両車とも単位スイッチ式のHBF。HBF-104-15DAが元50形に、HBF-054-15DAが元70形に装備されています。制御段数は両車とも弱め界磁を復活させたので10段ですが、マスコンの刻みが9段しかないので、制御段P2をバイパスしています。たぶんP2あたりまでくれば、P1でためてP3へバイパスしてもOVR作動はないだろうという読みです。いろいろと割り切っています。
 車体が軽く、単位スイッチの軽快な進段により、運転感覚自体はそれほど悪いものではありませんでした。応荷重装置がないため香林坊〜武蔵ヶ辻間で感覚が狂う(香林坊駅で旅客が2/3ほど降りるため、急にパワーウェイトレシオが上がってしまう)程度のことはありましたが、すぐに慣れたようです。

▲基本は朝ラッシュ時に最混雑区間の本松任〜武蔵ヶ辻間を往復する運用以外に付くことはありませんでしたが、休日の動物園ゆき臨時急行にはしばしば10形が抜擢されました。当時動物園線に入れる冷房車は300形2編成しかなく、300形が1編成でも検査入場すると10形を抜擢せざるを得ませんでした。

 ところで、加賀電鉄のよくないところはいくつかありますが、その際たるものに「割り切りを乗客に強いる」というのがあります。10形の場合、使えるモータや制御器から全長16メートル4ドアというレイアウトが選択され、ギリギリまで軽量化を図っています。それはいいのですが、短い車体にロクな換気設備もない車両だったので、夏は片側5箇所しか窓が開かない(しかも地下線に入る関係上開口部が小さい!)ので蒸し暑く、冬は防寒対策を省略したため隙間風は入ってたいへん寒いと散々な評判でした。
 座席も収容力優先の簡素なもので、朝のラッシュ時ならともかく休日の動物園ゆき臨時急行に入った日の、子どもたちの落胆(座席が少ないからね)は相当なものでした。加賀電としてもできるだけ冷房付の300形や500形を充当したいところですが、これらはあわせて8本しかなく定期列車に回すだけで精一杯だったのです。このときの気持ちが、1987年新造の600形に現れたのではないかと思います。いえ、そんな気がするだけですが。
 とにもかくにも10形は立派にワンポイントリリーフの重責を果たし、1986年から600形の新造が始まると入れ替わりで引退し、1990年には全車両が退役しました。正直な話あまり評判のよい車両ではありませんでしたが、加賀電の成長期をギリギリのリソースで支えた車両として、決して忘れるわけにはいきません。
 

ちなみに新車作るのと改造ではどのくらい価格が違ったんですか?
メニューにもよりますが、10形の場合は新造の約1/3ですね
いちばんお金のかかる機器類を全部流用したからね
それならたしかに、新車1両よりも改造車3両ですね
普通は半額くらいですけどね。安全性以外のありとあらゆるところをコストカットしたからこの値段になりました
安物買いの銭失いで〜す!
いや、その安物で商売している人がそれ言っちゃいかんでしょ……
まあ確かに旅客・乗務員双方の評判は芳しくなかった10形ですが、とてもいいクルマであることは間違いありません
その心は?
よく稼いでくれました
徹底的に枯れた機器を流用したから、とにかく壊れなかったのよね
ラッシュ時専用で走行距離もあまり行きませんでしたしね
割引価格の定期利用者には、コストカットなクルマがお似合いで〜す! 馬子にも衣装で〜す!
すいませんこの社長本当に社長なんですか?
本音で語る風通しのよい加賀電です
10形は風通し最悪だったけどね
いやそういうこと聞いてないんですけどね……
話を戻しまして、10形は新車が出揃うまでの10年間きっちり走ってくれればいいという見切りが成功の秘訣でした
えと……評判悪くても成功なんですか?
10形が原因で輸送人員が減ったというデータはありません。むしろ増えています
鉄道会社にとっての恥は、需要にこたえられないことだから。10形はちゃんと需要にこたえ、故障もせずに600形にバトンを渡した。とても優秀なクルマよ
さっきからなんか、旅客の視点が欠けている気がするんですが……

▲10形は最高速度もなんとか80キロと貧弱な足回りでしたが大きな故障をすることもなく、1990年までに全車両が600形と交替しました。コストを見切ったワンポイントリリーフの存在ではありましたが、求められた仕事を全うし引退したという点では、素晴らしいクルマだったことに違いはありません。
 

無事これ名馬…750形・730型・770型

 ことの起こりは700形がパワーアップのために1M1T編成から2M編成とした際、4両のTcが編成からはずされました(図参照)。モータがないとはいえ20メートル級の大型車体を捨ててしまうには惜しいということで、ブレーキ設備などを改造して500形の増結車として活用することになりました。とはいえ車体は戦時設計でガタがきているため、車体を新造しようということになりました。あわせて500形と車内設備を揃えるために冷房を設置することが決まりました。ただ、鋼製車体では冷房を含めた重量に台枠の強度が持たないこと、少しでも500形のパワーを有効に引き出したいということから軽合金の車体を新造することになりました。このような考え方で形式が独立し、750形となりました。
 軽合金車体は400形でアルミを使っていますが、750形はステンレスを採用。なんでまたと思うかもしれませんが、アルミとステンレスの有為差を知りたかった点と、塗料分の100キログラムすら軽量化したいという意図がありました。アルミの場合、無塗装とは言ってもクリアを吹いていたので、クリアを吹かなくても良いステンレスは魅力でした。
 さて、冷房は500形と同じ集中式のものを搭載(三菱電機謹製ラインでリアも搭載!)することが決まりましたが、冷房というのは冷房機だけでなく交流440ボルトの冷房用電源が必要です。しかし、交流440ボルトを作る大型のMGを載せるのは軽量化の精神に反します。ではどうするか。電源は連結相手の500形から供給することにし、750形には冷房電源を搭載しませんでした。500形と連結しないと冷房が使えませんが、Tc車なら500形と連結しなければそもそも走れませんので問題ありません。そんなこんなで冷房搭載しても25トンという軽い電車になりました。

▲増結用ということで運転台がない妻面も電気連結器を装備。ワンタッチで連結が可能ですが、MR管を別途接続する必要があるため、分割併合は原則として車庫内で行います。

 台車は当初DT13Sを流用する予定でしたが、板バネと軽量車体の相性があまりよろしくないためDT21Sを新造。結局流用したのは台枠とベンチレータ、あとは一部の運転台機器くらいとなり、更新車にしてはあまりリーズナブルな値段ではなくなってしまいました。
 マスコンハンドルはHBF時代のものを流用していますが、500形は5ノッチ、700形は9ノッチと制御段数が合わないため、700形のマスコンにボルトを植えて作動範囲を抑制するなど、細かいところではけっこうケチなことをしています。なお、ブレーキは500形と連結するためHSCに交換しています。
 そんなこんなでラッシュ時の増結車という地味な仕事を1984年から開始し、特に大きな変化もなく21世紀を迎えましたが、2011年に転機が訪れます。30形を廃車するに当たって単車用の車両を調達する必要が出てきました。そこで車体の劣化がない750型を電装し、730型とする工事が行われました。

▲730型の増設運転台。本来との運転台の違いはコルゲートがないことです。また板厚も2.4ミリから1.6ミリに薄くなっています。

 730型は750形を両運転台に改造し、廃車となった300形のMB-3020モータや電装を流用。ただし単車ですのでモータの直並列制御はできませんので、ABFM-164-15MHAを新造。4個モータ永久直列24段の電動カム軸制御となりました。制御器は300形の単位スイッチ制御器の回路をつなぎ変えてなんとか使いたかったのが本音ですが、いかんせん交換部品が払底(いや、枯渇だな)した機器を流用するわけにはいきませんでした。
 ブレーキはHSC。発電ブレーキは省略しています。本来ならMBSA-1にするのが筋でしたが、(車体はピンピンしていましたが)台枠の劣化がはなはだしく、台枠を新造するため予想外の予算がかかってしまい、ブレーキの改造まで至りませんでした。そのため500形以外と連結ができず、運用に禍根を残しています。
 残る3両も台枠および床下機器を新造してリニューアルが施されました。特に751号車・752号車の2両は、130型と同じMAP-224-15V01制御器を搭載した上で電装。なんと63系がHBF車を経てMAP車になってしまいました。こちらは600形と共通運用を組み、日中は普通電車に、ラッシュ時は急行や準急で活躍しています。753号車はTcのままですが、台枠・台車は更新され、450型と共通運用を組んでラッシュ時の増結用として活躍しています。

▲500形のMAP車改造は、年2本のペースで行っており、このままいくと730型を除く全車両がMBSA-1となるため、730型のHSCでは連結相手が2年後にはいなくなります。単行専用車として活躍するのかそれともMBSA-1にブレーキを載せかえるのか、注目です。
 
 

今の700形グループで、63系時代の部品って残ってるんですか?
730型のグローブ型ベンチレータが63系由来ですね
他は?
ありません
それって、700形といっていいんでしょうか
数字は区分のための番号であって、血筋を表すものではないわ
そうですか…それにしても台枠作り変えてまでも750形を使い続ける理由ってなんなんですか? 130型を増備したほうが旅客サービス上もいいと思うのですが
これには深いわけがあるので〜す!
2012年夏に新小松〜小松空港間が開業するのは知ってるわよね
はい
それに伴う運用数増加分の車両製造費用は、石川県と小松市から出てるの
つまり「お金は自治体が出すから加賀電で運営しなさい」というわけです
なるほど…まさか、予算が少なくて新造でなく改造による用途変更で新造費用を抑えざるを得なかったとか?
予算は潤沢だったわよ。ねえ社長
いぇ〜す! 新型車両5両分のお見積もりを出したら満額回答で〜した〜。さすが加賀十万石まんじゅうで〜す! うまい! うますぎ〜る
それ埼玉県…で、潤沢な予算があったのになぜ?
800形って、いいクルマよねぇ…
加賀電が久しぶりに気合を入れて作った新車でぇ〜す!
え…まさか
は〜い。800形に予算をかけすぎて、通勤型2両分の予算が捻出できませんで〜した!
しかも示し合わせたかのように400形が制御器故障起こし、一時期は加賀電の車両計画が大混乱しました
ドタバタの結果、700形2両を電装して汎用性を持たせて、ラッシュ専用の3両固定編成をやめてラッシュも日中もこき使うことで運用増を抑えることにしたのね
ずいぶんとまた泥縄な…
750形、台枠はともかく車体は全然劣化してないんだもん。資源は大切にしないとね
お金を大切にしてください…

▲ラッシュ時にしか使わない車両だからと、63系を改造して安く上げて作られた750形ですが、どうしてどうして機器換装を繰り返した挙句2012年現在は日中の活躍も目立ちます。シャイニングカラーばかりの加賀電車両において、シルバーメタリックの750形グループは4両の小所帯ながら、抜群の存在感です。
 

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