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2000形

 1976年の市電廃止に伴い、これまで市電原町線経由で北仙台(1969年以降は花京院)まで直通運転していた宮電は仙台市内への運行系統を失うこととなった。市内直通の廃止は宮電にとって死活問題のため、自前で地下線を敷設して花京院までの路線を開設することとなった。
 その工事期間中、電鉄仙台(現在の仙台西口)駅の発着線が4本から2本に半減するため、仙台到着の電車は迅速な折り返しが必要となる。そこで宮電は工事期間中のラッシュ時対応車両として20m4ドアの新型車両の建造を決定した。これが2000形だ。
 2000形は朝ラッシュ時に最低限必要な車両迅速に建造するため、ありとあらゆる部分で低コストにまとめられている。
 ボディは普通鋼製。ただし塩害対策として、大枠と車体の溶接部分を保護するため車体裾部を丸めている。
 足回りも1800形のようなコンパウンドモータ+マグアンプ制御などは考えられずオーソドックスな抵抗制御。コントローラは2両つなぎがACF-H4155-381、4両つなぎがACF-H8155-382。すなわち発電ブレーキなしのシンプルなコントローラとなっている。
 モータは155kWのTDK-8120シリースモータ。定格電流465Aで定格1,730rpmという汎用性の高いモータをギアリング84:15=5.6で駆動する。2両つなぎ1M1Tが基本なので、4両つなぎは8M1Cとなり、直列・並列各12段、弱め界磁4段となるが、2両つなぎは4モータ永久直列で直列18段、弱め界磁4段となる。当然進段速度は両者で異なるが、宮電の最大編成は4両で4両と2両の連結はありえないため問題は発生しない。
 なお、基本性能は34km/hまでの加速力2.5km/h/s、30%弱め界磁で最高速度100km/hで同様だ。
 台車は将来に禍根を残さないよう、空気ばねのFS-372/072をおごっている。宮電では初めてのノースイングハンガ台車となったが、空気ばねを台枠の外側いっぱいに配置して、ローリングを抑えている。
 ブレーキはダイナミックブレーキを持たないのでHSC。AM系の車両とも連結できるようA弁操作で自動空気ブレーキによるブレーキ操作も可能としている。もっとも「できる」だけで実際はブレーキ弁の15度くらいの狭いところで緩め・保ち・込めを制御するため運転上たいへん扱いづらいことから、併結の際は極力HSC車が選ばれていた。
 車内はロングシート。2000形の耳目は乗降時間の短縮なので各ドアから均等に旅客が出入りできるよう、乗務員扉後部にも3人がけの座席スペースを用意しており、ドア間は6人がけとなっているのが現在の4ドア車と異なる点だ。
 このドア配置の関係で運転台のない車両はドア配置が左右非対称となっている。

▲2000形4両つなぎの中間車同士の連結面は窓2つ、反対側は窓ひとつと左右非対称になっている。そのためホームドアに対応できず、2008年までの引退が確定となった。

 2000形は1969年から72年にかけて、4両つなぎと2両つなぎ各4本を投入。ラッシュピークの多賀城準急を中心に投入し大きな成果を上げた。当時は高城町以遠は3両つなぎまで(急行通過駅は2両つなぎまで)しか入線できなかったため、2000形+他系列の3両つなぎも見ることができた。このときMT比が1M2Tとなってしまうこともあったが、155kWの大馬力モータのおかげで旧性能車1M1T程度の性能は問題なく出せた。
 2000形は4連4本、2連4本の計24両が花京院地下新線開業までのラッシュ輸送を支え、その後宮電が20m4ドアをスタンダードとする礎を築いた。
 性能面でも問題なく、中型車淘汰後も軽合金車に伍して運用されていたが、他の4ドア車とドア位置が異なるため2008年の地下区間ホームドア導入を前に淘汰が始まり、2007年に3200形の増備車4両が投入されたのと入れ替わりに最後の4両も引退した。

▲木造鋼体化車の930形と組んで仙台を目指す2000形。1M2T編成でも起動トルクは十分あるため、当時の運転曲線では問題なく使われた。

▲2600形登場後はニューカラーになって活躍した2000形。しかし普通鋼車体は塩害に弱く、保守はたいへんだったようだ。 

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