六甲電車

 

第三六甲トンネルを抜け、六甲有馬ロープウェイを右手に見れば有馬温泉はもうすぐ。〈山上の街〜電鉄有馬〉

700形〈カットラス〉

 1976年に登場した汎用車両。〈カットラス〉とは主に海賊が持っていた曲刀で、刃渡りが短い分振り回しやすい。小型車両が急勾配急カーブをものともせず、立ち向かう自然に匕首を突きつける力強さをイメージを車輌に託したといわれている。
 700形の白眉は何と言っても正面1枚窓を六甲電車で初めて採用した点にある。1976年の段階では併用軌道はすべてなくなってはいたが、「併用軌道時代にこの電車があればな…」とは古株運転士の弁。そのくらい見切りが改善された。
 一方で側面は100形などと変わるところのない片開き2段窓とややアンバランスな組み合わせとなっている。六甲電車は山岳路線ゆえに技術面ではきわめて保守的な傾向があるが、1980年800形に至るまで片開きドアにこだわった理由はよくわかっていない。
 システムはシリースモータと抵抗制御のオーソドックスな組み合わせ。出力155kwのMB-3110AcモータをABFM-214-15MDHで直並列制御する。登場時は3両連接だったので2コント、5連化後は3コントの構成となる。勾配線での起動を考慮して、制御段数はバーニアをかませて直列・並列各24段としたため、奇数号車の山側には抵抗器がほぼ台車間に渡ってびっしりと並んでいる。六甲山口駅で神戸ゆきの電車を降りると、冬場は温風が、夏場は熱風が床下から舞い上がってくる。

床下にずらりと並ぶ抵抗器は登山電車の証。〈六甲車庫〉

 MB-3110Acモータは端子電圧750ボルトなので発電ブレーキの面において不利との見方もあったが、整流子を改良することで100km/hからの発電ブレーキを可能としている。この事実は同じMB-3110Aを採用している近鉄2400系などが青山峠を快走していることからもわかる。当時の六甲電鉄の担当者も、青山峠での2400系の走りを見て、MB-3110Acに太鼓判を押したといわれている。
 台車は近畿車輛製シュリーレン台車KD-40Ac。枕ばねが金属ばねで、1976年製造の車輌にしては保守的と思われるかもしれないが、これは40‰連続勾配時に空気ばねのパンクによる座屈を懸念したためといわれている。今頃にはダイヤフラム式のいわゆる『スミライド』も実用化されているのに臆病といえば臆病な話ではあるが、8.6キロにわたる40‰連続下り勾配はそれだけ恐怖なのである。
 しかしMB-3110Acの比類なき出力は、これまでパワーに余裕のなかった六甲電車に一筋の光明を与えるものであった。155kw全軸駆動の威力は、ギアリング5.6で全界磁領域の加速力3.5km/h/s、平坦線均衡速度121.3km/hという性能に現れる。ぱた、40‰でのバランシング速度も100km/hと申し分ない。
 ブレーキはHSC-Dで抑速ブレーキつき。抑速段は4段あり、それぞれ65km/h(のちに85km/h)、45km/h、25km/h、非常電制となっている。空気ブレーキは鋳鉄両抱き式で天候変化による制動力の変化を嫌っての選択だ。なお、鋳鉄両抱きブレーキで満車状態から40‰下りで600m以内に停止できる限界速度を85km/hとしているため、現状でも下り勾配での最高速度は85km/hに抑えられており、速度向上のネックとなっている。

オフィスグリーンの壁紙が時代を感じさせる700形の車内。〈六甲車庫〉

 車内はロングシートだが、窓の下辺を低い位置(窓下740mm)に取ったため背面がほかの形式に比べ低く、さらに座面を430mmとしているためかけ心地は現代の水準に比べ一歩譲るところがある。また、奥行きも460mmと現在の標準である510mmよりも狭いところにも「時代」を感じるが、当時としては標準的なものであった。
 デビュー当初は電源用量の確保が困難だったため搭載されていなかった冷房は、1985年の5連化の際、2・4号車に大型のBLMGを吊ることで解決。ただし改造の工程を最小限にとどめたためラインデリアは装備していない。ただし、後に増結用として新造した3両は1200形に合わせた意匠となっているので、708編成の中間車のみラインデリア装備となっている。壁紙も同様で、現在残っている708編成は先頭車のみデコラ・ラインデリアなしで、アイスグリーンのパネルとなっているが、中間車は現在標準のマホガニー&デコラの意匠となっており、アンバランスな組み合わせになっている。
 700形は3連8編成を製造。1985年から86年にかけて中間車4両を新造の上5連4本、2連4本に組み替えられたが、震災で703・705編成が被災廃車(ただし722号車は同じく被災した1511編成に組み込まれ1661号車に改番)、その後も2000形の登場で1000形が2連化されことで704〜707編成が引退、2500形の製造で701・702編成が引退したため現在は708編成1本が残るのみとなっている。また、707編成は救援車911形に改造されている。
 現在700形は800形と同じHSC-Dグループで運用が組まれており、ラッシュ時の1系統の普通・3系統の通勤急行を中心に使われているが、予備部品のストックの問題から2500形の増備が進んでおり、2500形第9編成の登場と入れ替わりに、2015年度中の引退がほぼ内定している。

1986年に作られた増結車輌は意匠を1200形に合わせたため、コンタも窓割りもドアも異なるが、編成全体のバランスを考慮して台車は旧100形のKD-25を改造して流用している。〈六甲車庫〉


■コラム:700形の編成組み換え

 3連8本が登場した700形は1985年の5連化に伴い、冷房化と合わせ5連4本と2連4本に組み替えることとなった。中間車8両のうち753〜757の5両はBLMGを搭載、751・752・758の3両はMGを撤去してコントを搭載するなど、改造は見た目以上に大掛かりなものとなった。
 この際不足する4両は1200形の意匠を取り入れたアルミ製の車体を新造。システムは1200形が界磁チョッパ制御+コンパウンドモータの組み合わせなのに対し、新700形は抵抗制御+シリースモータの組み合わせなので、見た目は同一でも形式は700形に編入されている。

いよいよラスト1編成となった700形。700形・800形のHSCグループは朝のラッシュ以外にあまり出番がない。〈王子公園〜西灘〉
ホームページに戻る



サマンサ 2015
inserted by FC2 system