六甲電車

 

六甲電車で最後まで残った吊り掛け車70形。しっかりしたボディと強トルクモータが生き残りの秘訣。〈護国神社〉


70形〈ザ・アール〉
 70形は1958年から1963年にかけて2両×15編成が製造された。70形の登場背景には、1963年の第3・第4六甲トンネル完成によって神戸〜宝塚間が全通するため、その車両不足を補うこと、そして、市内線直通用車両の機器を流用して更新車を作る計画を遂行する間の車両不足を補うために、とにかく大量の車両が必要だった。そのため、デザインはとにかく簡素を旨とし、価格は極力安く、造型にも一切凝らない車両というコンセプトで登場した。
 車両性能的にも当時大手民鉄や国鉄に登場していたカルダンドライブではなく、日車D-16※(車重17tにD-16とはずいぶんオーバースペックな、という向きもあるだろうが、D-12だと負担がギリギリなので余裕がほしかったということらしい)と吊り掛け駆動の組み合わせ。モータはMB-146。出力こそMB-98よりも高い93.3kwながら、定格回転数はMB-98よりもさらに低い750rpmという大トルクモータで、混雑時にはT車をぶら下げて2M1Tの3両編成での運転も考えられていた。一方でギアリングを2.82として高速性能を確保。平坦線では65%弱め界磁を使用して最高速度95km/hの俊足を誇った。

簡素を旨としてデザインされ、短期間で大量増備された70形だが、基本設計は将来を見越して余裕のあるデザインとしており、それが90年代まで更新されつつも使い続けられた秘訣といえる。〈六甲車庫〉
※日車D型台車の後ろにつく数字は、台車の許容荷重を示す。D-10なら10t、D-12なら12t、D-16なら16tとなる。
 コントローラは単位スイッチ式のHBF-124-15EDH。ABFM制御が民鉄各社に導入された時期にあえてHBFで投入されたのは、登山電車にはノッチを任意で選べる手動加速が最適との結論からだ。たとえばS最終からP3までカムが進んだ段階でオフにすると、カムは一旦S1まで戻ってスポッチングしてしまう。そこから再加速をかけると、S1からP3までカムが回る時間がロスタイムとなる。単位スイッチ方式のHBFであれば、速度計を見て運転士が瞬時に適切なノッチに投入できる。登坂中の再加速にはHBFが最適なのだ。
 編成はMc+Mcの2両編成が基本。六甲山越えの際は2コント以上の原則に従って2両は電気的に独立しており、どちらかのコントが不動になっても残りのコントで最寄り駅までたどり着けるようになっている。
 ブレーキはSME。当時の六甲電車は通常2連、増結してもせいぜい3連なので保安度が高く構造が簡易で、11形や51形との連結が可能なSMEが採用された。中継電磁弁もないきわめてシンプルな構造で信頼性も高いが、1970年代後半の緊急的な4連運転ではこれが仇になり、精密停車が難しいとこのときばかりは乗務員の評判はいまひとつだった。
 SMEは空気ブレーキのみの担当で、電気ブレーキはマスコンの逆回しで行なうのは11形と同じ。電制ノッチは4段あり、最終段は非常電制となっている。
 車体は「ラッシュ」を意味する〈ザ・アール〉にふさわしくきわめて簡素。軽量構造のボディに車体強度を稼ぐためのバス窓が並ぶ。これは窓の上下に戸袋を作らないためのデザインだが、Hゴム支持の固定窓は、ガラスが割れると取り付けるのがたいへんで、工場の人間にはあまり歓迎されざるデザインであったため、晩年は下段固定・上段下降の2段窓に改造された。

更新前の側面窓はいわゆる『バス窓』。当時の壮絶なラッシュで窓ガラスが割れると修理がたいへんだったため、更新後は上段下降下段固定の二段窓となった。〈船坂車両検査場〉

 車内はロングシート。座面高さ440mm、奥行き440mmと窮屈な座席だが、これは収容力を重視したためだ。
 70形は六甲電車成長期の主戦力として70年代を乗り切ったが、80年代に入ると旅客サービス向上プロジェクト『プロジェクト80』において70形のあり方が問われることとなった。
 基本的に2400mm幅の狭幅車両は収容力の問題から廃車する方針で、70形も2400mm幅グループなので当然廃車となる予定ではあったが、比較的経年が浅く車体もしっかりしており、運用を限定することで10年程度は延命できるとして1981年より車体更新を実施。発電抵抗を撤去し冷房を搭載することで、重量増加を招くことなく旅客サービスの向上を果たした。この際、冷房電源搭載のため2連15本を3連10本に組みなおし、10両を電装解除して中間に組み込んでSIVを搭載した。MB-146の高馬力を生かすため廃車になった11形から駆動装置を流用しギアリングを4.69とし、2M1T化して下がるトルクを保証。最高速度こそ70km/hと派手に落ちてしまったものの、最高速度65km/hの1系統なら問題ないと割り切った。台車はD-16を再利用。ここで設計当初の余裕が活きることとなった。もし台車がD-12だったら、この時点で廃車になっていただろう。
 なお、10年程度の延命のため、コント・ブレーキは従来のままHBFとSME(電制なし)。そのため最大連結両数は3両までの縛りは解けず、更新後は性能面のみならず輸送力の問題から普通列車以外に使われることはなかった。
 結果晩年はほぼ1系統専用車両として活躍したが、1500形の大量増備と入れ替わりに1992年までに全廃。70形の全廃によって、事業用車両を除き六甲電車から吊り掛け駆動の車両は消滅となった。

11形とともに六甲電車通勤輸送の主役として活躍した70形。システムこそ旧性能車であったが、HBF単位スイッチ制御のレスポンスの良さや、満車状態でもらくらく起動する低速トルクの強さは乗務員に愛され、まさに〈ザ・アール〉のペットネームにふさわしい「ラッシュの切り札」として重宝された。〈月見山〜宝塚〉
■参考資料:70形編成組み換えの図
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