六甲電車

 

『プロジェクト80』の一番手として登場した800形。元旦のみ運行される急行に充当。〈紅葉丘〉

800形〈プロジェクト80〉

 オイルショックを境に著しい旅客の増加に追われ続けた六甲電車が直面したのは、他社に比べて著しく劣るサービスレベルだった。発電ブレーキ用の抵抗器を搭載する必要があったとはいえ、1978年時点で冷房化率はゼロ。車体幅はマックスで2600mmと狭く、ホーム有効長も50mしかなく、14m級の3両編成が限度という有様だった。
 そこで1980年から10年間で輸送力の増強とサービスレベルの向上を達成すべく、『プロジェクト80』が立案され、車両面では冷房つき高性能車である800形を企画した。
 冷房を搭載すると一口に言うが、六甲電車の場合屋上に並ぶ抵抗器を何とかしなければ冷房の搭載はできない。一方で登坂性能を確保するために全軸駆動・オールMは維持したいという観点から、床下もコントローラやコンプレッサなどでいっぱいいっぱいとなっていた。
 そこで、いかに床下を整理するかということから始まった。これまで、六甲電車は力行用の抵抗器とは別に発電ブレーキ用の抵抗器を屋根に搭載していた。これは40‰の連続下り勾配では、モータの制動力をいっぱいまで使うためだが、それゆえに冷房を乗せるスペースがない。
 そこで、800形では回生ブレーキを活用することで屋上抵抗器を省略することを考えた。この六甲電車の要請に対し、三菱電機から提案されたのはAVFチョッパ制御だった。この方式はシリースモータを使う点ではいわゆるサイリスタ・チョッパ制御と変わらないが、通流率が上限になってからの弱め界磁制御もリニアに行なう点が異なる。界磁の弱めをリニアに行なうには分巻回路を持った本来コンパウンドモータが必要だが、界磁の巻線から線をすこし引き出してチョッパの閉回路につなげ、チョッパの閉回路に分割巻線をつなげることで、チョッパのオン/オフを使った弱界磁制御が可能となるもの。わかったようなわからないような理屈だが、これによって界磁抵抗が不要になったばかりではなく、電機子チョッパの弱点でもあった高速域での回生絞込みがある程度改善できる点が採用の決め手となった。ただし、機器が高価なため3両つなぎでコントは1台。1C6M制御とした。このため5両つなぎになるまでは六甲山を登ることができないが、それは一時的なものとして割り切ることにした。

メモリー:3連時代。宝塚方面の先頭車は電装準備車であり、パンタグラフは緊縛扱いで運行されていた。編成内1コントなので当時の運用は六甲山口駅から神戸側だけに限定されていた。〈電鉄摩耶〜護国神社〉

 コントはCAFM-216-15RDHという少々聞きなれない型番。これでMB-3670Ac(500v/320A/160kw/1,270rpm)モータを6台直列につないで制御する。後述の事情からこれまでのモータに比べ大電流を食う仕様なので、1コントながらパンタグラフは2基搭載となっている。
 このように大出力・大電流のモータとなった背景には、チョッパ制御の特性上の問題がある。チョッパ制御で回生ブレーキを使う場合、高速域では発生電圧が上がりすぎて回生を絞り込まれる状況に陥る。そのため高速域でも回生ブレーキを有効に使うならば、ギアリングを大きく取って、モータの回転数を抑えなくてはならない。800形もその例に漏れず、連続勾配を走る電車でありながらギアリングは4.82と大きくなっている。このようなセッティングでは低速のトルクが不足するため、大電流を長し大出力でトルクを補う必要が出てくるという理屈だ。
 ブレーキは他車との連結を鑑みてHSC-RD。しかし六甲電車に限らずおそらく日本全国の運転士に聞いても同じ答えが返ってくると確信するが、HSC-Rほどたちの悪いブレーキはないといっても過言ではない。特に六甲電車は40‰の下り勾配が9kmも続く区間があり、そんなところで回生ブレーキがすっぽ抜けたら恐怖以外の何者でもないのだ。
 六甲電鉄としても回生失効対策として架線の強化(110sq→170sq)をしたり、六甲トンネル内に回生電力吸収装置を設置して対応したものの、それでも離線が起こればゼロアンペア制御はキャンセルされてしまうため、5連化後に非常電制用の抵抗器を使用し、発電ブレーキを常用できるように改造された。
 台車はKD-36Acシュリーレン台車。80年代の新造でありながら相変わらずの金属ばね台車だが、標準軌ゆえに踏ん張りが効くので乗り心地はそれほど悪いものではない。駆動方式はこれまでどおりWN。特にこだわりというわけではなく、メーカーが推奨しているためにそれを選んでいる程度の話だ。
 正面形状は新しい六甲電車をアピールするためにフルモデルチェンジ。大きな正面二枚窓は客室からの展望が抜群。また、ガラスを傾けることでトンネル内でのガラスへの映り込みを軽減している。ただ、一枚窓では破損時の交換費用が馬鹿にならないため、センターピラーをはさんだ2枚窓とした結果、700形よりも見切りが悪いという運転士もいる。

2連窓の側面が特徴的な800形のサイドビュー。この形式までが片開き扉で、1200形以降は両開き扉となる。台車は金属ばねだが、乗り心地は悪くない。〈六甲車庫〉

 車内はロングシート。車体幅が広がった分を座席のかけ心地向上に還元し、座面高さ420mm、奥行き480mm、一人当たりのかけ幅は430mmとした。
 インテリアはこれまでの車両のカラーコンディションを引き継ぎ、青モケットの座席とアイスグリーンのパネルという組み合わせ。ただし客用扉はその存在を強調するため黄色く塗装している。これは現在まで続く六甲電車標準のカラースキームとなっている。
 800形は1980〜1982年に1編成ずつ、計3編成を製造したものの、AVFチョッパ制御の価格が引き合わず、1983年からは製造ペースをあげるため界磁チョッパ制御となった1200形の製造に切り替わってしまった。
 ただし、1985年に5連化される際に挿入された中間車は、車体こそ1200形と同タイプのものになったが、車両性能をそろえるためあえてAVFチョッパ制御で納品されている。
 以降5連3編成が全線で活躍したが、1995年の阪神・淡路大震災で801編成が被災。現在2編成が特急・準急以外の各種別で使われている。

700形と比べると車体幅が広がり、輸送力や省エネルギー性が向上した800形。しかし、電装品の高さから増備は界磁チョッパ製の1200形が中心となっていった。〈船坂車庫〉
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