六甲電車

 

宝有電鉄時代の建物がそのまま残る船坂変電所。壁には旧社紋も残る。〈紅葉丘〜船坂〉

六甲電車の電力設備

 六甲電車の走りを支える電力設備は、電力会社から受電した電気を直流1500Vに変換して電車運転用に使用するものと、信号設備や駅施設などの電源設備に使う系統がある。いずれの電源も関西電力より交流33KVを受電し、7ヶ所の変電所で直流1500Vに変電して供給している。また、3変電所では高圧変圧器で交流6600Vに変換し、駅設備・信号設備に電源を供給している。
 六甲電車の電力設備を語る上で特徴的なのは、紅葉丘〜六甲山口感に配置された回生電力吸収装置だろう。1980年に回生車である800形が投入された際、列車密度の低い時間帯において下り40‰勾配走行中の回生失効が懸念されたため、船坂・有馬・第三六甲の各変電所に回生電力吸収装置を設置した。
 原理そのものは至極単純で、吸収した直流回生電流を抵抗器で熱に変換するものだ。インバータを用いて高圧配線に送り返す方式も検討されたが、日中でも上下あわせて毎時24本が走行し、回生失効の確率はきわめて低いことが予想され、そうなると半導体を多用するインバータ方式は費用対効果が低く、また、高圧配線に送り返したところで電力費の返還があるわけでもないので、低コストで効果を発揮する抵抗方式に落ち着いた。
 現状、年間の消費電力は2,000kwhにも満たないため、半導体の価格がこなれた現在でも抵抗方式のまま使われている。
 沿線の7変電所はいずれも無人で、船坂変電所などは宝有電車時代の建物をいまだに使ってはいるが、システム自体は1970年代から集中化・無人化を進め、1980年に全変電所の無人化を達成している。

架線柱が途中で切断されたようになっているのは送電線を撤去したため。架線の上を通る電線はき電線だが、これも将来のインテグレート架線への改良工事に伴い撤去される見込みだ。〈筒井台〜上野通〉
 また、かつてはひとつの受電さきから複数の変電所に電力を供給した関係で、変電所間を結ぶ送電線が本線上に存在していた。しかし、列車本数の増加に伴い受電電力が増大。また、列車密度が高い区間ではより電力を安定させるために、受電地点を増やして送電線の撤去を進めてきた。
 2000年度までに全送電線の使用を停止する計画で進めてきたが、1995年の阪神・淡路大震災で被災した際に計画を前倒しして受電設備の復旧を進めた結果、1997年までにすべての送電線の使用を停止。現在は送電設備の撤去も完了している。
 送電線の撤去によって、飛来物や鳥などによる短絡事故もなくなり、保安度が向上した。
 架線・電気設備の検査は、電気検測車1296型2両を用いて行なっている。六甲・船坂の各工務区に1両ずつ配備され、おのおのの管轄内を定期的に走行している。架線の磨耗や信号電源の減衰などの検査はこの車両で行い、集積されたデータは電力指令に送られて工事計画の策定材料となる。

架線検測車1296型。終電車発車後六甲・船坂の各工務区から出庫する。パンタグラフは検査用で、走行は内蔵のディーゼルエンジンで行なう。〈六甲工場〉
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