六甲電車

 

メモリー:70形の増結用として最後の活躍をする50形。山岳線非対応のため車高が70形より300mm高い。〈上野通〜電鉄摩耶〉

50形〈愛称なし〉
 1930年に六甲電車の前身となる六甲越有馬鉄道が西灘阪神前(現在の岩屋〜西灘間)〜六甲登山口(現六甲山口)間を開業した際に20両が用意された。六甲越有馬鉄道は西灘阪神前から阪神国道線・神戸市電に乗り入れて神戸市内に入ることが決まっていたため、距離の割には多くの車両を用意している。
 車両は市内線を走る関係から、中央ドアが低床構造、両端ドアが高床構造となっていて、六甲電車内と神戸市電内でドアを使い分ける運用となっていた。車内はロングシートではあるが、阪神国道線の電車に見おとりしないよう、厚手の座席がおごられている。
 正面形状は約15度傾いた流線型となっているが、これも阪神国道線の〈金魚蜂〉こと70形や神戸市電G車などに対抗した結果のスタイリングといわれている。
 制御方式は六甲電車での連結運転を考慮してHBを採用。単位コントローラスイッチHBF-102-15EでモータはMB-98A×2。宝有電車用の11形のような勾配線を走る想定はないにもかかわらず、MB-98Aを採用した理由は、六甲越有馬電車も宝有電車も阪神電車の三崎省三技師の監督を受けて作られたものであるため、部品も共通化されているものが多いためだ。ただしギアリングは11形が勾配対応として4.69としているのに対し、50形は3.55 としている。

メモリー:MB-98Aのトルクを活かし、600V区間では2モータ並列で走った50形。とはいえギアリング3.55では神戸市電などに比べで足が鈍く、「後ろから市電にせっつかれた」という。〈大倉山付近〉

 ところで、六甲越有馬電車は架線電圧1500vで開業しており、阪神国道線と神戸市電は600vなので、西灘阪神前で電圧切替を行う必要がある。しかし、50形は複電圧仕様とはなっていない。
 HBF-102-15Eは抵抗段9段・弱界磁1段(65%)の10ノッチだが、マスコンの隣に直並列回路切替ハンドルを用意し、六甲越有馬電車線内では直列つなぎ、神戸市内では並列つなぎで使うことで要件を満たしていた。六甲越有馬電車から市内線に入る場合は速度が上がらないだけで保安上の問題はないが、逆の場合モータに大きな負荷がかかり、フラッシュオーバの事故などにつながるが、これについては直列回路のMFが吹っ飛ぶことで安全を保っていたが、それ以外の防護方法はないため、西灘阪神前駅には予備車両が常に待機していたという。
 ブレーキは連結運転を考慮してSMEを採用。もっとも低価格で連結運転ができるブレーキということで採用された。また、当時は六甲山を登坂することは考えたれていなかった(六甲山口からはケーブルカーとロープウェイで有馬へ向かうルートが計画されていた)ため、電気ブレーキは装備されていない。
 50形の車重は21tと小型ゆえに軽量なため、895rpmのMB-98Aモータ2基でも十分なパワーとトルクとなり、六甲越有馬電車線内でも最高速度85km/h程度で走ることができたため、1963年に軌道線直通運行がなくなった後も六甲山口〜神戸市内間の普通電車で70形の増結用を中心に活用された。
 しかし、老朽化と収容力の小ささによる寿命は確実に進んでおり、1963年に100形が登場すると18両が200形へモータや補助電源装置を提供するために廃車となり、300型の登場と入れ替わりで残りの2両も廃車となった。

メモリー:開業当時の50形はポール集電。1500v集電においてローラ式のスライダーではアークを引っ張り架線を激しく磨耗するため、後にスライダータイプに交換された。〈原田(現王子公園)〉
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