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200形電車
製造期間:1955年~1957年製造 
活躍期間:1955年~現在
製造両数:5両 廃車:3両
車両寸法:22,100×2,116×3,650mm 空車質量:22.8t
モータ:MB-172NWF(37.5kW/600V/60A/1,100kg)
ギアリング:15:63=4.5 駆動方式:つりかけ 制御方式:HL
最高速度:55㎞/h

 1950年代の森島では石炭産業が盛んだった。石炭の採掘には多くの人手が必要で、住宅地から炭鉱の輸送を担っていたのが東線だった。
 現在は廃止されてしまったが、営林署電停からさらに山間に分け入った森島炭山電停まで路線があり、東浜から提灯通りを通って炭鉱までの区間はほぼ24時間15~30分間隔で電車を走らせていた。これは炭山が三交代制でほぼ休みなく24時間稼働していたからに他ならない。
 その森島炭山への従業員輸送を円滑に遂行するため、1955年に登場したのが200形電車だ。

炭鉱線を走る200形。1971年の炭鉱閉山とともに路線は廃止されている

 東線は道路幅が狭く複線化ができないため、列車単位の輸送力を大きくしなければならない。そこで楽園軌道では初の連接構造とし、1車110人の輸送力を確保している。
 電装品はオール三菱、車体は近畿車両製でモータもこれまでの15~20kWモータではなく、37.5kWのMB-172-NWFを4台搭載。これをギアリング15:63=4.5で回しているので低速からのトルクは2,000㎏とめっぽう強い。最高速度は弱め界磁を効かせてもいいとこ55㎞/hだが、東線は高速性能よりもむしろトルクを要求する線形なので問題はない。
 モータは両端の台車内側に1台ずつ、連接台車に2台搭載して、トラクションができるだけかかるように工夫している。機器の構成は2モータを1群としてSP制御を行う。そのため抵抗器はA号車・B号車それぞれにぶら下げている。実質2両をひとまとめにした機器構成なのでダイレクトコントローラは使えないのでHL制御となっており、コントはHLF-502-6LDBをA号車に搭載している。
 モータ以外は製作費節減のため旧車を可能な限り流用している。台車は雨宮製の板枠台車を補強して流用、抵抗器・コントローラも新造品ではなく旧品流用のHL-72B+PV-3の組み合わせとなっている。
 旧品の台車を流用した関係で、耐荷重の問題から車体の軽量化が必要となり、窓は戸袋を造らなくてよいバス窓、車体はt1.6の鋼板を使用している。そのため強度確保の問題からウインドシルがついているのも外観の特徴といえる。

80年以上前に造られた板枠台車を今も履く200形。ASSYなどあるわけもなく、すでに廃車となったほかの車両のストックをやりくりしている。

 また、MGも非搭載で、蛍光灯は直流蛍光灯を6本単位で直列につないで使用、放送装置などの24Vも抵抗で降下して使うという野蛮なことを行っている。
 このおかげで車両質量は2両連接で22.8tとたいへん軽くできたものの、台車の強度がギリギリなので冷房搭載が不可能という、現代の水準としては問題のあるデザインとなっている。また、t1.6は海岸沿いを走る電車でははなはだ不向きで腐食がひどく、のちにの大部分をt2.4に張り替えている。この重量増も冷房化を阻む要因となっている。
 200形は5本が造られたが、炭鉱の閉山とともに活躍の場が縮小し、現在は2編成が残っている。しかし冷房がついていないため日中の運用には入らず、現在は平日に1運用が早朝出庫して東線を2往復するだけとなっている。
 連結車両としては550形が現在2編成製造されたが、建築限界の関係で東線には入線できない。そのため200形の後継をどうするのか、そもそも連接車が今後も必要なのか、部内では検討中だという。
 200形そのものも老朽化も進んでいるので、結論は今年度中には出るものと思われる。

現在は1編成が営業所~東浜・営業所~舟守神社をそれぞれ1往復するだけとなっているが、最混雑時間帯の救世主であることに変わりはない。
dan564@gmail.com /サマンサのTumblr
サマンサ 2018

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