トップページ 楽園軌道沿線観光 その1 東浜の縣権兵衛(あがりはまのかたごんべ)
ここは「東浜の縣権兵衛」と呼ばれる、トンネル内の歓楽街なのです。 森島周辺は豊富な海の幸に恵まれている一方、天候が不安定で台風や豪雨がしばしば森島を襲います。そのたびに漁船は東浜漁港や藍が浦に足止めを食らうわけですが、そうなると多くの(金を持った)海の男たちが暇を持て余すことになります。その財布を狙ってトンネルの中に飲み屋や風俗街が立ち並び始めるのは自然の摂理といえましょう。 もともとは台風などの被害がひどかった東浜地区に、土木に明るかった時の知事である山縣権兵衛が「災害に強い集落」のモデルケースとして造ったのが始まりと言われています。イタリアの地下墓地「カタコンベ」をヒントにしたと伝えられていますが、墓地の中に住むようなイメージだと住人が納得しないと思ったのか「傲慢かもしれないが、私の名前を付けさせてくれ」と山縣は進言したといいます。 住人も安全が提供されるとあって山県の名前を冠すことに異存はなく「山縣権兵衛の村」と呼ばれるようになりました。しかし「山縣権兵衛の村」というのはどうにも長くて言いづらいため、島の人たちの間ではいつしか山が取れて「縣権兵衛の村」となり、さらに東浜村が東浜町となって「の村」が取れ「縣権兵衛」となりました。 これによって東浜の住人は家屋が台風被害から逃れることができるようになり、この集落の名前をその功労者に敬意を表し「山縣権兵衛」としました。ただ、地名としてはいささか長すぎたのか、いつしか「山」が取れて「縣権兵衛」のなったというわけです。 時は流れて昭和30年代になると防災に対する技術も向上し、トンネル内で暮らす必要は薄れてきました。縣権兵衛からは一軒また一軒転居が進み、昭和40年代にはほぼ空き家となってしまいました。 そこに目を付けたのが商店主で、日が当たらないため賃料の安いこれらの建物を使って飲み屋や置屋をはじめ、いつしか森島一の歓楽街となり、トンネル内に灯り代わりに並べていた提灯から「提灯通」と命名。現在も提灯をモチーフとした街灯が並びます。 最近では観光客目当てのおしゃれな飲食店も増えてはいますが、メインはやはり夜の顔。今でも提灯通では「眠らない町」として、トンネル内に煌々と灯りがともっています。 もっとも、現在の提灯通を見て山縣権兵衛がどう思うかはちょっと気になるところですが。 街灯は提灯からLEDになりましたが、提灯をモチーフとしたものになっています。 |