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■つまらないシンボル…1000形

 1974年7月7日の七夕豪雨は、静岡県全域に甚大な被害をもたらした。特に駿遠急行の沿線である丸子地区は地滑りや法面崩壊が多発、安倍川橋梁・大井川橋梁も濁流による大きなダメージを受けた。
 駿遠急行としても運転再開にむけて全力を尽くすものの、丸子車庫に停泊していた車両を中心に、85両中40両が被災するという事態で運転再開のめどは全く立たなかった。
 しかしここで、かねてより計画を進めていた車両限界拡大を合わせて進めていくことに決定。どうせ新型車両が必要なのであれば大型車両をどんどん投入したほうが得策である、という目論見だ。
 結果、併用軌道で運転上のネックとなっていた、市中心部の静岡呉服町~弥勒間は地下線で復旧、それ以遠は現行の路線をベースに地滑り区間の坂下~岡部間は線路の付け替えを行うなどする計画が立てられた。
 復旧までの期間は約1年を要する計画だけに予算配分は慎重に行われたが、企業規模から言って肝心の大型車両導入の予算は決して潤沢ではない。そんな中で20両の車両を造ろうというのだから、徹底した経済車にならざるを得なかった。結果として平々凡々なつまらない車両にならざるを得ないが、非常事態に面白いもつまらないも言ってられなかった。
 なお、被災した40両のうち、9両を復旧し33両を廃車。当面の手当てとして20両を新造し不足の10両は他社からの譲渡で賄うこととなった。
 とにもかくにも1974年に20両の新型車両が東急車輛で急ピッチに製造され、比較的復興の早かった島田地区から順次投入されていった。
 車体は新基準に合わせ、全長18m、車体幅2,800mmの大型車体となり、これまで併用軌道を走る関係で制限されていた枷がなくなった。
 編成はMc+Tcとし、当面の最高速度は90km/hなのでその性能を満たす最低限の設備をMc車に装備。Tc車は自車の制御に必要な最低限の機器を載せるという設計で進められた。
 まず価格面で電機子チョッパや界磁チョッパといった選択肢は最初から存在しない。抵抗制御で直列12段。弱め界磁4弾という極めてシンプルなコントローラとなった。形式名はABFM-154-15MH。お情けで型番に多段制御の「M」がついているが、12段では多段制御言っていいものかどうか……。
 また、15MHが示す通り発電ブレーキは省略。これも機器の簡素化による低コスト化を狙ったもので、ブレーキはHSC。このころには耐摩レジンのいいものがあるので、当時の最高速度90km/hであればまったく問題ない。もっとも雨天時に雨水をブレーキパッドに噛むと「架線柱2本分は(制動距離が)伸びる」と一部の運転士には恐れられていたが。
 モータは軽量車体に似合わない大馬力モータMB-3064Sで、375V時の出力は150Kw。これはラッシュ時に小型のT車1両を増結し、1M2Tで1.6km/h/s程度の加速力を確保するためのセッティングだ。駆動方式はWN。

▲MB-3064Sの第トルクを活かした1M2T運転。応荷重装置がない自動加速車という悪条件は運転士を悩ませた。

 経済運転に関してはコントの制御段数が12段、しかも後述の理由から応荷重装置がないので加速のムラが大きく、粘着性能に若干の不安があることからギアリングは600形などの5.6よりも5.44(87:16)と心もち浅く取ってトルクを稼いでいる。しかしそれでもやはり弥勒~安倍川間の地下線から築堤に一気に登る33.4‰勾配では苦しく、運転士は弥勒駅の手前、川越駅からフルステップで力行し、勢いをつけて登坂していた。
 つまり弥勒駅に停車する普通電車ではこの方法が取れないということになるが、駿遠急行の普通電車は2両つなぎと決まっているので1M2T運転は準急以上限定。つまり運用面では問題ないというわけだ。
 台車はMc車が当時最も安かった金属ばねのFS342-S。ブレーキはシングルブレーキになっているためサフィックスがついている。それにしても電制のない車両で片持ち式のブレーキというのはどういった了見だと思わずにはいられないが、これも価格の問題だ。片持ち式ブレーキにするということは当然シュリーレン式やアルストム式は使えないわけだから、必然的に軸箱支持方式もペデスタル式とならざるを得なかった。Sミンデン? そんな高価な台車が履けますか。
 Tc車は七夕豪雨の被災車両からむしってきたD16と、このあたりも予算のなさが浮き彫りになった構造。D16の荷重制限から主要機器はM車に集中配置し、車体質量はMc車44t、Tc車26tとなっている。TcのD16台車には応荷重装置を取り付けることができないので応荷重装置は省略。通常は限流値415Aで固定しているがラッシュ時及び1M2T編成のときは限流値増NFBをオンにして560Aにすることでトルクを確保している。
 このような極限設計のため冷房をつけることはままならず、1974年の登場でも非冷房車というのは当時のサービスレベルから言っても今一つなところ。何せお隣の静岡鉄道では冷房車を続々と投入し始めた時期であり、駿遠急行の貧乏さが一層際立つ結果になってしまった。もっともそれは、災害復旧や限界拡大工事、地下新線の建設など車両以外に莫大な予算が必要だったからに他ならないのだが。
 なお、これまで赤一色だった駿遠急行のカラーが1000形から窓周りにグレーが入る二色塗装となった。これは車体が大型化し、赤一色で塗るとあまりにも暑苦しいためグレー帯を入れて暑苦しさを緩和した、というのが公式見解である。

■リノベーション後も地味な活躍


▲リノベーション後の1000形。冷房が搭載されパンタグラフが増設されている。画像は台車の振替を行った1010=1060編成で、インダイレクトマウント方式ながらエアサスの台車となり乗り心地が向上した。

 予算の都合で簡素に造られた1000形も、1990年代に入るとさすがに冷房なしでは旅客の支持を得られない。そうでなくても並行する東海道本線が119系を投入し〈するがシャトル〉の運行を開始している。フリーケンシーだけでなく車両の設備でも勝負を強いられる時代になってしまったのだ。
 以上の理由から1992年に1000形10編成中6編成にリノベーション工事が行われることとなった。リノベーション後の1000形は支線運用に回すことが内定していたので、支線運用に必要な6本だけをリノベーションしたわけだ。残り4本は1600形を代替新造し、この時点で廃車となる。
 まずは冷房化だが、SIVは2両分なので70KVAもあればよい。吊り下げるならTc車の床下だが、当然D16の許容荷重を超えてしまう。
 そこで台車の振替となるが、6編成のうち4編成は廃車になった1000型から4両分のFS-342を捻出。残る2編成(1009=1059、1010=1060)は、1010号車の台車を1059号車に転用。1010=1060編成には1200形で好評だったSミンデン台車を新調することにした。しかし1000形は心皿の構造からダイレクトマウント方式の台車は採用できないのでインダイレクトマウント方式となった点が異なる。この台車はのちに1300形のリノベーションにも使われている。
 冷房装置は車体強度の関係から集中型の採用はできず、AU13型冷房機をJR東日本から購入し、1両に5基搭載している。風洞もラインデリアもないため冷却にはムラがあるがないよりはましである。ただ、車体強度を気にして分散冷房を載せたにもかかわらず相応の補修が必要になった点を考えると、もうちょっと車体強化を頑張って集中冷房を載せてもよかったのではという気がしないでもない。
 パンタグラフをTcに1基増設。これはSIVを搭載した関係で離線によるSIVの動作不良を防ぐためと説明されている。
 冷房改造におけるリノベーションでこの結果編成全体で質量が9t増加したが、もともと1000形は1M2T運用が可能なようにパワーには余裕を持たせてあった。今後は1M1Tもしくは2M2Tでの運用となるので、冷房搭載による重量増はその余力でカバーできた。
 もちろん念願の応荷重装置も装備されたので、空車時390Aから満車時585Aまで、また支線の低加速モードとして280Aモード(メチャクチャとろくなります)も用意するなど、これでもかとばかりに至れり尽くせりの装備となった。なお、電制は相変わらず省略でブレーキはHSCのまま。ゆえに界磁添加制御への改造なども行っていない。なのでコントはABFM-154-15MHのままである。
 こうしてリノベーションを受けた6本の1000形は、大井川線、団地線、本線の島田~新金谷間といったローカル運用を中心に使われた。一応支線用との触れ込みではあるが、最高速度は110km/hまで行けるため性能的には急行にも使えた。実際大井川や新金谷へ車両を送り込む際は急行運用に入り、MB-3064Sの高性能ぶりを見せつけていた。
 そのような感じで活躍を続けていた1000形も、2012年に2000形が登場すると玉突きで廃車となった。七夕豪雨からの復興の象徴として1両くらい保存されてもいい気はするが、駿遠急行的にはサービスレベルも今ひとつで乗客の評判も芳しくなかった車両を残すつもりはさらさらなかったようである。というより駿遠急行の保存車両は600形の前面がひとつあるだけで、他はすべて解体処分となっているのだが。
 現行のラッピングはこの2000形から採用されたので、時系列的に1000形が現行ラッピングで走った実績はない。しかし、2000形登場前に住友スリーエムスコッチカルXLの性能試験として1010号車がニューカラーをまとって西日差す元宿車庫で半年間、紫外線暴露の試験を行っていた。そのため結果として1060号車のみが現行のラッピングをまとったことになるが、営業運転に出た実績はないことに違いはない。


▲一応は七夕豪雨からの復興シンボルということで、引退時に特別運転が行われた。普段こういったイベントをまったくしない(引退車両の告知すらしない)駿遠急行としては珍しい。

▲現在はラッピング車両のスタンダードとなっているスコッチカルXLを前面に貼った試験に使われた。しかしこの姿で営業に出た実績はない。


サマンサ 2019
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