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■1000形のネガつぶしのはずが…1100形



 七夕豪雨からの復興のシンボルとなった1000形。しかしその実旅客からの評判は芳しくなかった。
 冷房がなく、さらに制御段が12段永久直列と来ているので衝動が大きく乗り心地が今ひとつ。さらにTcはD16台車を履いているのでピッチングがすさまじく、急行運用に入った日には旅客が不安を覚えるほどだった。
 そこで復興も一段落し、残った小型車両を淘汰するために企画されたのが1100形。1981年に2両つなぎ3本が東急車輛で製造された。
 基本システムは1000形に範をとっており、モータも1000形と同じMB-3064S。1M1Tなのでコントも永久直列にしかしようがない。せめて制御段数だけでも増やして乗り心地を改善しようという親心でバーニアでも噛ませようかという話もあったが、そうなると1000形との併結の際に進段速度が食い違ってあまりよろしくないということで、ABFM-154-15MHのまま。せめて発電ブレーキを…との願いもむなしくブレーキはHSCと、よく言えば1000形と完全互換、悪く言えばなんの代わり映えもしない足回りでまとめられた。もちろんギアリングも5.44(87:16)だ。
 その代わり車体は「赤い豆腐」とあだ名された1000形とはうって変わって当時の流行を取り入れた正面の形状に、側面の見付もすっきりとした一段下降窓となった。ボディの台枠保護の裾絞りも入って1000形とは比べ物にならない程に洗練されたボディとなった。
 正面形状は地下線内での列車風を軽減するために正面に後退角をつけ、さらに空気の逃げ道を作るために上下を少しカットした独特な形状となった。また当時流行の額縁スタイルを取り入れるなど精いっぱいのおしゃれを施した。
 しかしこれが裏目に出た。額縁のおかげで横の視界が遮られ、精密停車がしにくいと運転士から苦情が殺到したのだ。

▲当時流行の額縁スタイルを採用した1100形。しかし乗務員は精密停車が難しいと不満たらたらだった。


 特に普通電車の運用では、40mの短いホームに36mの電車が停車するため前後2mしか余裕がない。それでいて特急から逃げるために当時としてはカツカツの運転曲線で設定されていたため、ホームのエッジで45㎞/h…ってエッジが見えへんやんけ!
 からのHSC+レジンシューゆえのグダグダ停車で雨の日はエマ連発という笑うに笑えない事態となった。
 さらにこれは1000形もそうなのだが非貫通型主体の狭幅車とことなり、右前方に視界を妨げる貫通扉が鎮座ましましているのも乗務員に嫌われた。とはいえこれは地下線を走るための保安基準(A-A基準もしくはA基準)なのでつけないわけにはいかない。当時は増解結の運用があったため非常ドアをオフセットするわけにもいかないわけで運転士にとってはストレスの多い運転台だったと言わざるを得ない。
 結局1100形はその後国鉄との対抗策で普通電車用の車両を増強する必要性から3編成で製造を終了。1000形などとつないで2M2Tの4両つなぎもしくは2両単独の日中準急の運用でつかわれるようになった。
 特に1982年以降は普通電車の体質改善が優先されたため、1100形3編成はほぼ特急専業で使われることになる。特急であれば停車回数が少ないので視界の悪さもそれほどハンデにならないからだ。
 そして1100形の一件で中央貫通扉と額縁がえらく嫌われて、1200形以降は非常ドアをC台側にオフセットした顔つきが駿遠急行の「顔」となってしまうのだった。

■複雑な編成組み換え

▲編成組み換えは1500形の新造を待って行われた。普通用を玉突きで優等用に回すあたりにどの縄式な組み換えのそしりは免れないが、普通電車用にばかり投資した結果、優等車のリプレイスが遅れていたのもたしかであった。

▲コントは界磁添加励磁制御のACRF-H8150-49に換装。抵抗制御ながら励磁電流で回生ブレーキをかけられるようになった。機構上失効しにくい回生ブレーキなので運転士の評判も上々。ただこの瞬間、三菱電機と駿遠急行の蜜月にひびが入ったことも否定できない。


 こうして1000形10本と1100形3本の計13本で4連を6本(+予備2連1本)を組んで特急を中心に運用していたが、普通電車用1200形の製造が一段落し、ようやく(本当に、ようやく)優等車の体質改善を始めようという段になって、1100形をどうするかという話題になった。
 確かに運転士の評判は悪い。しかし冷房のついた車両で車齢も浅いので廃車にするのはもったいない。かといって正面形状を大規模にいじるような予算はない。
 そこで降ってわいたように普通電車のスピードアップの話が出てきた。当時13本の1200形が運用されていたが、そのうち初期につくられた4本は抵抗制御、残りの9本は界磁チョッパ制御だった。抵抗制御でも現行の運転時分なら問題ないのだが、雨の日の運転のしづらさや1㎞を超える駅間でのスピードのあがらなさなどからこれ以上の速度向上は望めなかった。
 そこで、初期の1200形4本を新型車両の1700形に置き換え、捻出された4本の足回りを1600形の増備で廃車する1000形4本の足回りと交換し、その車両で1100形をサンドイッチするというアイディアが生まれた。
 この際ついでだから発電ブレーキがほしいよね、ということになったがあいにく地下線内での発電ブレーキは禁止。しかしコンパウンドモータやインダクションモータを新規に調達するのでは価格的に見合わない。
 そこでACRF-H8150-49コントだけ新造して界磁添加励磁制御とすることになった。これならギアリング5.44でも回生ブレーキが25㎞/hまで使える。そして固定4連なのだから1C8Mでいいじゃないかということでコントは編成1台に削減。改造費用を抑えることができていいことずくめだ。8モータ直列接続1コントだと雨の日たいへんなのでは?
 という乗務員の指摘には「準急以上でしか使わないのだから問題ない」と突っぱねた。なお、型番を見てもわかる通りこのコントに限っては東洋電機製。三菱のコントをメインに使ってきた駿遠急行だが、このころから東洋の製品も使うようになってきている。もっともこのときは界磁添加励磁制御のコントを作ってるのが東洋電機製造だからという消極的な理由に過ぎないが、これをきっかけにじわじわと東洋のコントを駿遠急行も採用するようになる。
 また、駿遠急行は0A制御の効く界磁チョッパ信仰が強く、1500形で採用された界磁チョッパ制御を1100形のリノベーションでも採用してほしいという要望は大きかった。しかしそうなると新造と変わらない車両価格になってしまいリノベーションの意味がない。0A制御が使えないため日中の急行Bなどに運用されるとダイヤに余裕がなかったため、主に準急~快速のローテーションで使われることが多かったが、運用に制限が加わることは必ずしも好ましいことではない。
 閑話休題。文章で書くとややこしいので詳しくは図で見てほしいが、とにかくこんなややこしいことをしてもがっつりお金がかかるのは1500形4本とコント3台の新造費用だけで、あとは自社工場内でアレすればなんとかなるレベルでややこしい割には魅力的な提案だった。
 そこで、1200形と1000形を捻出するために1500形・1600形をそれぞれ新造。1100形は運転台部分を簡単に閉塞して中間に組み込まれてしまった。

▲運転士に悪評たらたらだった1100形の運転台は閉塞され、中間に封じ込められた。この際1号車と2号車を入れ替えて先頭同士が向き合うように組みなおされているが、これは1200形の貫通路と1100形の正面非常ドアの寸法が異なるためだ。


 改めて先頭になった元1200形はM車を1130型、T車を1180型と改めて1100形に編入。1100形は3編成なので、捻出されて余剰となった1本の1200形は1250型としてローカル用に転用された。なおこちらのコントはABFM-154-15MHのまま。
 1994年に3編成が改造されたもの、やっつけ改造はやはり使い勝手が悪かったのか、2007年に代替新造車として1800形を2本製造し、2007~2008年にかけて順次廃車。改造後わずか13年の寿命であったが駿遠急行としては全般検査を通す価値を1100形に見いだせなかったのだろう。ただし、ACRF-H8150-49コントとMB-3061Aモータはまだ使い道があるとして丸子工場に温存。貧乏なんだか金持ちなんだかやっていることが本当によくわからないが、これらのコントは2011年に1000形の代替として登場した1260型に転用され、再びその姿を現すことになるのであった。
 機器の使いまわしが大好きな駿遠急行なのである。
 

▲ボルスタレス台車の車両が入線できない団地線用として1100形は残っていたが、1800形の登場で廃車。しかし廃車後もコントローラは数奇な運命とともに1260型として復活する。

サマンサ 2019
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