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■因果は巡る…1300形電車


 駿遠急行は七夕豪雨による被災をきっかけに建築限界を拡大。車体幅をこれまでの2,400mmから2,800mmに拡大した。車両も順次2,800mm幅のものを導入していったがそこは中小民鉄の悲しさで2,400mm幅の車両としばらくの間は混走することとなる。
 この場合「大は小を兼ねる」というわけにはいかず、ホームの建築位置は2,800mm幅の車両に合わせるため、2,400mm幅の車両はホームとの間に200mmのギャップが開くこととなる。さすがに200㎜のギャップともなれば保安上問題があるためドア下にステップをつける対応をするが、それでも狭幅車は保安上問題がいろいろ出てきた。
 そこで吊りかけ式の旧型車は経済者である1100形で置き換えのピッチを進めていくが、問題はまだ第一線で使える600形のような狭幅高性能車だった。これらを廃車にするのはもったいないということで、600形の電機品を流用し、2,800mm幅の車体を新造する計画が立てられた。



▲1960年製造の600形。性能は申し分なかったが収容力や保安面で難があり、1300形に機器を召し上げられる結果になってしまった。

 600形は三菱電機製の単位スイッチコントローラ、ABFM-168-15MDHとMB-3020Sモータの組み合わせ。MB-3020SはMT比1:1条件で120㎞/hの高速運転が可能な優れたモータで、駿遠急行としてもこの高性能モータを捨てるのは忍びなかったわけだ。
 編成はTc+M+M'+Tcの4両つなぎで、コントローラはM車に、補助電源系はM'車に吊っている。なおMGに関しては冷房化による大容量化のために120KVAのBLMGを新調している。
 さて、1編成の600形からとれる台車はM車2両分であり、4両つなぎを作るならTc車の台車はどこからか別途調達しなくてはならない。そこで1100形の投入で廃車になる吊りかけ車からD16を調達。イコライザ式の古い台車だが最高速度95㎞/h(当時)なら充分な性能を持っている。
 しかし問題は別のところにあった。D16というくらいなので台車の許容荷重は16t。つまり満車状態で32tまでに車体質量を抑えなくてはならないわけだ。さすがに普通鋼車で冷房を載せるとなると18m車でも29t程度にはなる。29tならギリギリセーフ、というわけではない。鉄道は旅客を乗せて初めて儲けが出るのだから、ここに満員の乗客を乗せなくてはならない。そうなると32tを超えてしまうのだ。

▲イコライザ台車のD16を履いて登場した1300形。このような先達として西武701系や阪神7801=7901形などががあるにはあるが、すくなくとも1986年にやるようなことではないだろう。

 そこで東急車輛に相談した結果、1985年に211系で採用した軽量ステンレス構造を提案された。価格は鋼鉄製の 20%程度増しになるものの、塗装省略によるランニングコストの低減や何よりも軽量化によって旧来の台車が使えるというメリットは駿遠急行の財布のひもを緩めるのに十分なセールスポイントだった。
 ただし、それでも上物の質量を13tに収めるには床下機器を吊る余裕はほとんどなく、Tcの床下にぶら下がる機器はバッテリとATS関連の機器、元空気ダメ程度にとどまった。 そしてそのしわ寄せはM車にすべてのしかかり、M'車にいたっては120KVAのSIVを筆頭にCPや断流器、接触器など吊るせるだけ吊るされることになった。
 M車が履くKD17台車は耐荷重が20t以上あるのでこういった芸当が可能となったが、Tc車が26tに対してM車が44tというどうにも極端な構成になってしまったのは否めないところ。
 その代わり粘着力はばっちりで、1C8Mのハンデをものともせず雨の日でもぐいぐい加速。MB-3020Sモータは4,200rpm保証で整流もよく、ピークで600A近い電流をかければぐいぐい加速するので、2M2Tでもギアリング5.6で平均加速力3.0km/h/s、最高速度110㎞/hという俊足ぶりを発揮した。
 こうして登場した1300形はその高速性能を活かして特急や急行に使われたが、シュリーレン台車を履くM車とイコライザ台車のTcとでは乗り心地に大きな差があり、M車が滑るように走る一方でTc車がバインバインにバウンドしながら走るといった光景も見られた。軽量なボディにばね定数のおおきい板ばね台車ではそりゃあそうなるわな。しかもホイールベース2,134mmときているから、いくらイコライザが効いたとしてもローリングはどうしようもないわけで、乗り心地は実にワイルドなものという定評があったのもたしかであった。
 このバインバイン跳ねるのの何が問題かというと、応荷重装置が効かないのだ。2連コイルバネのKD-17はまあ。コイルバネのたわみで荷重を測定できる。ドアが閉まった段階でばねの沈下量を拾って可変抵抗を動かせばまあそれなりに効果はある。しかしD16台車は重ね板ばね。ばね定数が高すぎてばねの沈下量で電流の制御ができないのだ。
 そのためデビュー当初は応荷重装置を殺して営業に付いたものの、進段速度560A固定では閑散時にどうにもじゃじゃ馬が過ぎる。そこで後付け改造で限流値増NFBを追設し、閑散時420A、混雑時560Aの2段階の設定を運転士が選べるようにして事なきを得ている。
 ブレーキは当時最新モードのHSC-D。コントの制御段が直列・並列各12段+4段の弱め界磁があるので強力な(応荷重装置がないので安定した、とは言わない)発電ブレーキが期待できた。強力すぎて地下線では発熱のため使用禁止になるほどだった。安倍川駅なり丸子駅なりで電制スイッチを「切」にするわけだが、うっかりそれを忘れると両替町駅で駅員が飛んできて運転士を怒鳴りつける光景がよく見られた。そのくらい発熱がすごかったのだ。たかが発熱と侮ってはいけない。地下線は建築限界ギリギリの断面しかないのでブレーキの熱がこもってしまう。暖かい空気は上に上る傾向があるので台枠が暖められる。そうなるとそこを貼ってるケーブルが蒸し焼きになったりバインドやエポキシが劣化し絶縁不良の原因となるわけだ。だからこその「電制禁止」であり、決して乗客の不快感解消のためではないのだ。
 車体は前述のように東急車輛謹製t1.6軽量ステンレス。コルゲートのないスッキリとしたボディをいち早く採用している。価格は鋼鉄製に比べ1.2倍ほどになるのだが、機器流用や造形の単純化などでトータルの製造費を抑えている。
 それゆえに正面は何の工夫もない切妻平面顔で、流線型だった600形の面影はまったくない。スタイリングだけでなく実用面でも問題があり、地下線を特急で走ると90㎞/hほどの速度を出すのだが、1300形が来るとその風圧はほかの形式より明らかに大きく、通学生の帽子を飛ばす事象が頻発し問題となった。川越駅が最寄り駅の学校で制帽がなかったり顎紐をしっかり止めるデザインが多いのはこの1300形のせいであるとも言われているほどだ。とはいえ4編成しかない1300形がそこまで影響を与えるのだろうか? という疑問がないわけでもないが。
 それはそれとしてまあ、乗り心地が固かったり帽子を飛ばしたりスタイリングが味気なかったりとの欠点はあるものの、乗務員的にはよく走る電車でパワーもあってブレーキもよくかかるといった点が気に入られており、特に運転曲線がシビアな急行には積極的に投入された。もっとも、艤装が厳しいため予備励磁を持たないシステムにMB-3020というハイパートルクモータを組合わせているため、乗り心地、特に発電ブレーキの立ち上がりはいささかワイルドで乗客の評判はいまいちだった。特に1200形がノッチバックの使える界磁チョッパ制御を採用しており、0A制御の滑らかな走りを味わっているだけにこのあたりの評判は散々だった。
 時代の趨勢もあって冷房装置ももちろん搭載されている。ただし軽量化のためラインデリアや風洞を設けることができなかったため、10,000kcalの分散冷房を各車両に3台乗せる構成となっている。これを動かす120KVAのSIVはM'車に吊っているが、この1台が死ぬと冷房はおろかすべての制御系が死んでしまうため、最低限の非常運転用に6KVAのSIVも搭載している。こちらからはAC100Vしか出力しない ため、440Vのエアコンは当然、駆動できない。

■リノベーションでも因果は巡る

 1300形は持ち前の高性能もあって駿遠急行の主力として活躍を続けていたが、2000年になると足回りを中心に老朽化が目立ち始めた。
 それもそのはずで電機品は1960年の骨董品。D16台車にいたってはいつ造ったんだか誰も覚えていないというほどのものであり、早急な更新が必要なのは誰の目にも明らかであった。いや、それ以前に三菱電機が「もうMB-3020モータの補修サポートをやめたい」と申し出たのもあって置き換えは急務となっていた。
 とはいえボディは1986年製造でまだ新しく、廃車するにはもったいない。そこでリノベーション工事が行われることになった。結果として種車の600形由来の部品はパンタグラフくらいになってしまい、1300形のアイデンティティが喪失してしまうがそういう問題ではない。ボロ船とテセウスの船なら、旅客にとって必要なものはテセウスの船だ。
 床下機器は言い出しっぺの三菱電機からMAP-164-15VRH、すなわち1C4Mのインバータを調達。モータは160kwのMB-5035S。特に尖ったところはないが、平坦線の駿遠急行なら十分な走行特性が得られるモータとなった。ギアリングは6.07(85:14)で起動から54㎞/hまでの加速力3.0km/h/sを確保している。最高速度も120㎞/hまでは問題なく行けるが、現行の120㎞/h運転曲線では1300形の性能ではフリーラン領域の加速力が足りないため120㎞/hの運用には原則としてつかない。
 コントも並列接続の2コントとなったため機器換装で44tから36tに軽くなったM車でも粘着性能はむしろ向上。これまで重量制限があって何も載せられなかったTc車にSIVやCP、TISなどを搭載し、Tc車30t、M車39tでバランスすることとなった。
 ブレーキもHSC-DからMBS-Rとなり、めでたく回生ブレーキ付きとなって運転士が両替町駅で怒鳴りつけられることもなくなった。もちろん応荷重装置もめでたく追設され、空車も積車もほぼ変わらない運転環境をようやく獲得できた。
 ここまではめでたいことばかりだが、問題も発生した。台車である。


▲ボルスタレス台車全盛の時代にボルスタ付きの台車、しかもインダイレクトマウント台車とくるのだから住友金属も苦笑いだろう。初期設計やデザインをちゃんとしておかないと後世に禍根を残す好例と言えよう。

 これまで履いていたKD17やD16は心皿で車体を支持するタイプで、当然台枠もそのように造ってある。しかし、昨今はやりのボルスタレス台車にしてもボルスタ付きダイレクトマウント台車にしても、車体の両端に空気ばねの取り付け座が必要となる。もちろん1300形にそんな気の利いたものは用意されていない。
 そうなるとあまたのデメリットを呑んでインダイレクトマウント台車を履くか、台枠の改造に着手するほかない。駿遠急行が取った手段は前者だ。台枠の加工となると車両メーカーに送っての工事となり、工期が伸び工賃も上がる。しかし台車を台枠に合わせてあつらえるのであれば自社工場内の範囲で可能、すなわちコスト面で有利ということになる。結局のところカネである。
 そういった理由から住友金属から「いまさらですかぁ」と嫌味を言われつつもインダイレクトマウントのSS台車を調達。乗り心地はダイレクトマウントの台車に数等劣るとはいえ、体感の範囲では不快というほどではないので割り切ることにした。つくづく因果な車両である。
 せめてもの罪滅ぼしということでボルスタアンカの位置を車軸中心から120mmほど下げているが、電気機関車でもあるまいしそれほど重たい車両でもない1300形でボルスタアンカの位置を下げたところで単なる自己満足に過ぎない。ボルスタアンカの位置を下げてトルクの伝達性を上げたところで硬い乗り心地、高速域でのローリング性能の不足が解消されるわけでもない。
 120mm低いボルスタアンカはまさに、1300形をめぐる因果の象徴と言えるのかもしれない。
 とはいえ団地線のR=80mカーブにおいてはインダイレクトマウント台車がベストチョイスであることもまた否定できない。ボルスタアンカで車体と台車を拘束するダイレクトマウント台車では旋回性能に制限が出る。もちろんR=100m程度なら問題ないが、R=80mしかも標準軌では旋回性能はシビアにならざるを得ない。
 1800形の製造が2編成で止まってしまった一因に「やっぱりダイレクトマウント台車だとこんなもんか……」という落胆があったことも否定できないのだ。
 4両つなぎ4本の1300形は全車両がリノベーションを受けて現在も第一線で活躍している。特にR=80mのカーブで復元力課題のリスクがあるため、ボルスタレス台車の車両が入線できない(入線を自粛している)団地線への直通快速は、1300形・1800形の独壇場となっている。大径心皿とボルスタアンカでガッチリ空気ばねをガードするインダイレクトマウントの利点がこんなところで生きるとは、これもまた因果なものと言わざるを得ない。
 2014年からは銀色一色の味気ないボディから、他社と同じ水玉ラッピングに模様替えしてイメージチェンジ。1100形を淘汰した1800形の製造も2編成で終わって2000形に移行したため、1300形は団地線快速・お買い物準急などで現在も活躍を続けている。
 次の危機は2100形の製造が一段落する2020年ごろであろうが、果たしてどうなるであろうか注目される。


▲団地線と本線の合流にあるR=80mの急カーブ。復元力過大のリスクがあるためボルスタレス台車の車両は原則入線しない。因果もめぐりめぐってこんなところで役に立つのだから世の中わからないものだ。


サマンサ 2019
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