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 この架空鉄道は、車両の「走り」のみに重点を置いていますが、車両のスペックシートはありません。ただ、どのようなシステムを組んだらどのような走りになるのかということに無駄な行数を使っています。多くの人にとっては「どうてもいいこと」を延々と書いている、といいましょうか。
 たとえば高加速車に界磁チョッパ制御を使うのはなぜか、とか技術的には新しいはずのGTO-VVVF制御が環境次第で旧性能である界磁チョッパ制御の後塵を拝してしまう例など「スペックシートには現れない部分」を重点的に説明しています。
 数字というのはただそれだけでは意味をなさない。ほかの数字やデータと関連をつけて初めて意味をなすんです。たとえばE4系MaxのMT206モータの出力は420kw。EF65形式のモータであるMT52は425kwですが、じゃあEF65形式は同じような出力のモータだから240㎞/h出せるのか? 出せませんよね。E4系Maxは1200tの貨物を牽引…こちらはできそうですがまあまずやらない。
 「そんなのあたりまえじゃん」と思うかもしれませんが、その「あたりまえ」をくどくどと説明するのがこの架鉄サイトと思っていただいて間違いありません。意外と説明できないもんですお「それがなぜなのか」ってのは。ちなみにギアリングはE4系が3.615でEF65が3.83です。これもほぼそろっているのに最高速度は倍ほども違う。こうなるとたんにモータ出力だけで性能の優劣を考えることはできないってわかりますよね。じゃあその「違い」はどこで出るのか。
 セッティングやチューニングに正解はありません。
 駿遠急行は平坦線、駅間1㎞、閉塞長300m前後、高密度ダイヤ、曲線多し、最大4両という条件下でセッティングを決めています。ただ飛ばすだけでなく中間加速の確保、経済性、視認性など様々なパラメータからどこを重視するか、どこに目をつぶるか、いろいろな人がいろいろな立場からいろいろ考えた結果こうなった、というのをやってみようと今回は考えています。
 セッティングの個性は「何をしたか」よりも「何をあきらめたか」に強く現れます。架鉄車両でそれを表現しているところはあまりないと思いますが実はこの「何をあきらめたか」というのは本当に見逃してはならない部分で、「理想」からどれだけ遠ざかってしまったか、というこの部分こそが車両の個性になるんです。いや、本当ですよ?
 理想がなくとりあえずあれこれ積み上げるのと、理想があってそこから引き算していくのとでは、最終的なスタイルやデザインに大きな差が出ます。理想とは何か、その人の哲学です。理想形から「さまざまな条件による引き算」していくとき、人は引き算の優先順位を決めます。その際にその理想がもつ本質的なものは最後まで残ります。残すはずです。だから「引き算の車両」にはその思想性みたいな物は残るんです。たとえ性能が今ひとつで襲の車両が目指していたものは残る。そしてそれは美しさとして現れるんですね。
 足し算の場合は本質の周りに「要素」がベタベタ貼りつく。特にはその要素が本質を覆い隠してしまい、身動きをとりにくくしてしまうんです。そうなると結果としてどこかピントがずれた車両が出来上がる。架鉄車両において「足し算の論理」は、ほかの人がどう考えているか知りませんが俺は少なくともあまり良いものとは思えないんですね。
 まあいろいろうだうだ書いてみましたが結果として駿遠急行には「万能な高性能車」というのは存在しません。すべてのパラメータを満たした性能というのは現実問題難しい。駿遠急行のフリートも乗務員には好評でも整備陣には不評、経済性には優れていても取り回しが不便、などあちら立てばこちらが立たないの連続です。
 さらに「決定版」が出たと思ったら輸送事情の変化や新技術の登場などで決定版ではなくなることもあるわけで、本当にセッティングに正解はないんですね。
 駿遠急行の車両たちは決して「理想的な電車」ではありません。
 しかし「理想を目指した」電車たちであることは間違いありません。
サマンサ 2019

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