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■低価格で最大の効果を…1500形
 1200形の製造が一段落すると、次はペンディングになっていた急行型の製造をどうするかが課題なった。少なくとも1984年の段階で支線を中心に狭幅車がまだ残っているのは接客面に限らず保安面でも問題があった。
 また、今後さらなる優等列車の拡充には車両数の増大は不可欠で、できるだけ低価格かつ高性能が車両を目指すべく、デザインされたのが1500形。1984年に第1編成が登場し、最終的には8編成まで増えた駿遠急行80年代の標準車両と言える性格の車両だ。
 車体は1300形で採用された軽量ステンレス。t1.5のSUS301をベースに補強リブを入れたもの。車両価格は鋼鉄製の1.2倍ほどになるが、この程度なら軽量化と回生ブレーキによる電力費の削減でなんとかなりそうな目算がついた。
 正面形状は1300形の切妻が列車風を起こして地下区間で問題となったため、約10度の傾斜を正面に付けたが、しいて言えば車体面で変化したのはそのくらいで、むしろ改革は足回りにあった。
 1500形は急行型としてデザインされるため、MT比はは1:1もあれば十分。加速力も全界磁終了までの加速力はそこまで重要ではなく、むしろ60~80㎞/hの中間加速を重要視したセッティングを考えていくのが望ましい。しかもできるだけ安く!
 弱め界磁領域の加速力を維持するのであれば、ギアリングを浅く取って低速域の磁束密度を高めるのがシリースモータでの王道。すなわちギアリングは4.82~5.6、モータのトルクは全界磁で2,800kg程度は欲しいところだ。100㎞/hでトルクが500kg残っていれば、駿遠急行の走りには十分対応できる。
 まあそういった点から検討を重ねた結果、モータはMB-3270(160kw)、コントはCFM-168-15MRHを装備。ギアリングは4.82(82:17)とした。
 CFMの型番からもわかる通り界磁チョッパ制御で、これは1230型での実績が認められた形になる。コントも1C8M1コントとなっているが、これもまた1230型のコントが故障皆無で運用された実績が買われたものだ。コントはいいんだけどむしろSIVが…。
 低速側のトルクは大電流で押し切っているので定格430Aとなかなかパンチの効いたものになっており、応荷重装置がマックスでかかると560Aを超え、パンタグラフ1基では集電容量が厳しくなるため2パンタ装備となっている。また、界磁電流は67Aでこれをチョッパで操作してゼロアンペア制御を行う。最高速度は110㎞/h。
 この時期であれば界磁チョッパ制御ではなくとも機構がもう少しシンプルな界磁添加励磁制御が使えたが、駿遠急行では熟考するまでもなく界磁チョッパ制御を選択している。というより、界磁添加励磁制御も電機子チョッパ制御も眼中になかった。
 理由はこれらのモータがシリースモータであることにある。
 シリースモータの制御はたしかに容易ではあるが、力行、惰行、減速の各モードでそれぞれ断流が必要となる。断流が必要ということはモード切替の際に衝動が発生し、かつ接点に負荷がかかることを意味する。
 1500形は急行用だ。つまり5kmくらいの駅間を100㎞/hで走る性能が要求される。この際シリースモータであれば110㎞/hまで加速して惰性走行、速度が落ちたら再加速をというのこぎり運転になってしまう。
 ところが界磁チョッパであれば当然コンパウンドモータを使うのでノッチバックが使える。すなわちゼロアンペア制御で断流せずに力行~0A~回生をリニアに界磁電流をチョッピングして流せば低速走行ができる。車輪径とギアリングが決まっていればモータの回転数すなわち速度なので、逆起電力を監視すれば容易に定速走行が可能というわけだ。もちろんブレーキはMBS-R。電気指令式の回生ブレーキで地下区間でも電制使用を可能としている。
 駿遠急行は普通電車のスピードアップに伴い急行系もそれなりの速度が求められた。ランカーブを描く際にシリースモータの110㎞/h運転ではどうしても100㎞/h見当でランカーブを引くことになるが、ノッチバックが使えれば105㎞/h見当でランカーブを引くことができるというものだ。この5km/hの差は馬鹿にできない。さらに断流をしなくていいということは、制御段より上の速度域ではスポッチングの必要がない。すなわち応答性も極めて良好ということになる。これらのメリットに比べれば1モータあたり200kgの質量増加や電圧急変によるカーボンブラシの荒損など取るに足らないリスクと言えよう。まあ面倒なことには変わらないのだが相応のベネフィットがあるので我慢できる、というのが近い感情だろう。
 とはいえコンパウンドモータによって重くなった分はどこかで軽量化してつじつまを合わせたい。これについては差し当たって台車で軽量化が可能との見通しが立った。すなわち住友金属謹製SS104形ボルスタレス台車の採用である。
 ボルスタレス台車とすることで枕バリ分の約1tを軽量化でき、モータの大型化による質量増加を差しいてもおつりがくる軽量化となった。軸箱支持はS型ミンデンで横剛性の強さは高速時の直線安定性能に大きく貢献した。

駿遠急行で初採用となるボルスタレス台車、SS-104を履く。軸ばねはSミンデンタイプで直進安定性能はばっちりだが、このガッチガチな直線番長セッティングとボルスタレス台車特有の問題から脱線事故を起こしてしまった。

 ボディは1300形で実績のある軽量ステンレスボディだが、踏切事故対策として正面部分のみ鋼鉄製となっている。正面パーツのみ別工程で製造し、車体とボルト締結後コーキングを充填して固定している。そのため正面は赤一色で塗装をしていたが、これは保線側から「1300形は曇りの日に視認しづらい」との報告があったため。銀色の電車を走らせて初めて、赤い電車の視認性の良さが再確認された形だ。
 しかし赤一色の正面というのがなんとも暑苦しいのもまた事実で、これから1800形まで正面の塗り分けは試行錯誤が繰り返される。1700形の如きは迷走を極めたような塗り分けで旅客からも「もう少しこう、なんというか……」と言われたのもいい思い出だ。
 また、鋼体の中で正面だけがボルトオンとなるため、ねじれ剛性も若干変化する。もちろんFEMで十分安全性を確保した強度は確保しているし、念のため隅柱を肉厚にする措置を取ってはいる。取ってはいるがやはりこーそくでコーナーに突っ込むと、ヨー方向のねじれに車体が負ける軋みをわずかに感じるという運転士もいる。だから何だって話ではあるのだが。

大代川側線で1300形と並んでポスター撮影を行ったときの様子。「銀色の時代」というキャッチで大々的に「これからはステンレスカーの時代ですよ」と触れ回ったのだが、1600形ではアルミ塗装車を導入して早々に反故にされたあげく、ステンレスカーもすべてラッピングされてしまったのはごらんのとおり。未来を読むというのはかように難しい。


■脱線事故と対策
 1500形は4連2本が1985年1月にロールアウトして3月より営業運転を開始したものの、同年3月15日に藤岡団地駅構内の連絡線で脱線事故を起こしいったん運用を停止。8月に運行を再開したものの、脱線の原因がボルスタレス台車かつSミンデン台車の復元力過大によるものとされ、以来団地線の運用にはついていない。
 しかしそれはそれとしてSS104台車の走行特性はたいへんすばらしいため「団地線の運用は1000形と1300形で賄えばよい。間違っているのは1500形のデザインではなく、R=80mの急カーブである」との方針で1986年から1988年にかけて4連8編成を製造。最終的には4連10編成の大所帯となった。こういう時に大言壮語でも「責任ある発言のできる責任者」がいることで技術はロールバックせずに済む。いろいろ問題の多い駿遠急行だが、この部分だけは本当に風通しの良い社風が現在も貫かれている……と思いたい。
 現在も3編成がローカル用の1520型・1530型に改造されたものの、7編成が本線の急行・準急を中心に活躍している。藤岡団地でずっこけた1553編成も相変わらず現役だ。
1500形は120㎞/h非対応なので日中の特急には使われないが、朝ラッシュ時の特急および通勤特急には比較的よく入るようだ。中速域の速度の乗り方がリニアかつ素直で、追い込みが効くとのもっぱらの評判だ。
 とはいえ界磁チョッパ装置・界磁接触器はすでに製造もメーカー保証も切れており、現在は1520型から捻出した3基の界磁チョッパ装置を予備部品としてプールしているが、近い将来何らかの対応がなされると見られている。

脱線事故を報道する当時の新聞。まだこのときは脱線原因が特定されていなかったが、この時以来ボルスタレス台車の車両は団地線に入線していない。なお、脱線した1553・1503号車のユニットは直ちにメーカーに送り返して修理の上、復旧している。奇跡的にどこにもぶつけなかったのだ!


通勤特急運用に入る1500形。最高速度こそ110㎞/hだが界磁チョッパ制御の応答性の良さとノッチバックによる運転士負担の軽減は乗務員から高い支持を得ている。特に110㎞/hからのブレーキングはGTO車よりも乗務員の信頼が厚い。

サマンサ 2019
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