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■京急からの頼れる助っ人1900形
 災害復旧からの車両大型化により、まるで水洗いしたセーターのごとく首が回らなくなった駿遠急行。しかし小型車を可及的速やかに追放しなければ保安上問題があった
 ついでに言うと地下線化なった呉服町~弥勒間に乗り入れ可能な小型車はA基準(当時)を満たした400形・600形・720形のみでほかの車両は地下線に入ることはかなわず支線運用や朝夕の島田~藤枝間セクショントレイン程度にしか使えず効率が悪かった。
 そこで、駿遠急行は他社からの車両譲渡を検討した。
 しかし、標準軌・2,800mm幅の出物というのはなかなか見つかるものではなく、狭軌車体に標準軌の台車を組み合わせることも考え、譲渡可能車両を模索していた。
 そんな折、京急電鉄が400形の廃車を進めているとの情報をを入手。この一部を購入したい旨を駿急百貨店外商部を通して打診。商談が成立した。
 譲渡に際し、駿遠急行としては10年程度の使用を考えていること、保守の問題から機器はなるべく揃えてほしいこと、そして特別な治具や工程を必要としないことを申し入れたうえで車種の選定が行われ、1977年より順次導入された。
 結果譲渡されたのは400形の中でも440形グループに属する車両で、115kwモータ搭載、TS-806台車仕様で統一された16両が選ばれ、1900形として4編成が就役した。1200形の次に1900形とはずいぶんな飛び番だが、駿遠急行では譲渡車両は900番台。それに18m級広幅車の1000を足して1900形となった次第。
 さて、440形は京急ではオールMでの運用だったが、駿遠急行ではそれだと過剰性能になるので、4両は電装を解除して3M1Tの4連4本を購入した。

旧番号との対比は以下の通り

1900形は4連4本を購入。高速域の伸びがいいので代走運用とはいえ特急に入ることもあった。

 京急から駿遠急行に導入するにあたっての改造は、A-A基準対応のための不燃化対策と前面非常ドア取り付け、側面窓の開口幅制限。この際一部車両が一段下降窓だったのでこれを二段窓に改造し、下段窓は50mmでストッパをつけ、これ以上開かないようにしている。それ以外の部分は改造コストを抑えるためそのまま。エアコンも搭載していない。
 モータはTDK-553-EMで110kw。本来TDK-553は定格電流142Aのところを、絶縁強化で200A近くまでロードをかけることで定格955rpmを実現したいかにも東洋電機らしい高回転モータ。MB-98しか知らない駿遠急行の乗務員にはこの鋭い出足のモータに度肝を抜かれたという。もっとも車軸装荷式750Vモータなので高回転域では自らのイナーシャ効果で思ったより上が回らないのは吊りかけ式の宿命ではあるのだが。
 TDK-553の端子電圧は750V。それでいてコントはシリース9段程度の制御段数しかないためこれをギアリング3.31(63:19)で駆動すると雨の日に盛大に空転する(ゼロ電圧から750Vまで抵抗を抜く機会が8回しかないので、抵抗の段差が大きくなる)リスクがあるが、そこはさすが京急で「空転するなら全車動力車にして1軸あたりのトルクを抑えればいい」というプラグマティックな解を与えている。
 とはいえ駿遠急行で4M0Tはさすがに過剰性能ということで3M1Tとしているが、それでも出足の鋭さは乗務員を驚かせた。当初は吊りかけ式ということもあっていわゆるB速度種別(足の遅いHB車グループ)の運用に入れるつもりだったのが、WNドライブの1000形グループに引けを取らない高速性能を持っていることがわかり、A速度種別(カルダン車グループ)に変更。日中も急行を中心にその健脚を誇った。もっとも応荷重装置がないのでラッシュ時に定員オーバー状態になると加速力がガクンと落ちるのが悩みではあったが、朝のラッシュ時はそれなりにダイヤが寝るのと、B速度種別の運行に組み込むことで対応していた。
 それ以外のシチュエーションではまずまずの走行性能をみせていたが、ギアリング3.31でA速度種別、すなわち2.7km/h/sの加速力を出すため出だしでは200A近い電流がモータにかかる。そうなるとトルクの勾配が急になるため、雨の日は空転に悩まされることとなる。そこでそういう場合のために142Aモードの限流値減NFBを設置。雨の日は低加速(2.0km/h/sくらい)で起動して、うまく食いついたら限流値減NFBをトリップさせるという運転方法を取っている。再粘着装置? あるわけないでしょそんなの。

T車の台車(左)はMCB-R、M車(右)の台車はTS-806。MCB-Eはイコライザ式だがボルスタアンカがついているので乗り心地は悪くない。

 台車はMCBだのOK-18だの様々な台車を種車が履いていたが、多種多様な台車を履かれると整備に禍根を残すという観点から譲渡時にM車はTS-806、T車はMCB-Rでそろえられた。ブレーキも自動的に台車シリンダ方式のMREとなる。まあ、自動空気ブレーキであることには変わりない。
 MREということは電制を持っていないということで、駿遠急行の最高速度95km/hから空気ブレーキだけで止まらなくてはならない。1000形のHSCに比べはるかに空走時間の長いMRE(=AMMR)にブレーキパッドは耐磨レジンと来ているので、雨の日は肝を冷やしたそうだ。 とにもかくにも4編成が投入された1900形はB速度種別の小型車両よりも詰め込みが効くため、朝の最混雑する通勤急行(当時。現在の急行Aに近い)に集中投入され、ラッシュの救世主として活躍した。
 乗務員からはトルクの出方が素直で(晴れていれば)ブレーキもまずまず効くとあってそれなりに評価されていたが、整備陣は入庫のたびにアクスルメタルに給脂し、2ヶ月ですり減る制輪子を交換しなくてはならない。モータも端子電圧が高いのにギアリング3.31で猛然と加速するため消費電力が大きく、1900形が起動すると周囲の列車の加速が鈍るとまで言われていた。当然カーボンスライダもあっという間にボロボロになるので保守側からの評判は芳しくなかった。
 もともと1900形は長期にわたって使うつもりはなく、B速度種別の小型車両を淘汰して新型車両が出そろうまでのワンポイントリリーフとしての活用しか考えていなかった。そのため1500形が10編成揃ったところで廃車が始まる。

高速域の伸びがそこそこいいので代走とはいえ急行メインで運用された。

 とりあえず間に合わせでA速度種別に対応するために4連4本を4連3本に組み替えてT車4両を外し、4M編成で性能を確保。ラッシュ時の急行Aなどを中心に使われたが、90年代になると冷房装置がないのが問題となり、1600形の登場と入れ替わりに廃車となった。
 ほかの形式のように支線転用はなされず、最後の運用も夕方の急行Aで締め、京急時代と同等以上にひたすらかっ飛ばす11年を終えた。
 1992年12月未明、大代川側線への廃車回送。
 4M、空車、負荷なしで界磁弱め35%。もう二度と走ることはないのだからというにはあんまりにもあんまりな死に装束的なセッティングを組んで元宿車庫を出庫。
 アイデントラを「回」にセットご通過防止装置を沈黙させ、藤枝~島田間7.6kmを線路閉鎖。速度制限がない同区間でTDK-553-EMを目いっぱい回したらどうなるのか。
 このあまり感心できない好奇心に対する答えは関係各所に迷惑をかけてしまうので差し控えるが、誰も忘れることのできない官能的な甲高い咆哮が響き渡る4分42秒だった、とだけ記しておけば充分だろう。
 瞬間的な最高速度や回転数など、書くだけ野暮というものだ。

最終運用も急行Aで締めた1900形。最後の最後まで持ち前の高速性能を活かした運用をこなし、約15年間の活躍を締めくくった
サマンサ 2019
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