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 aboutラブ電

 社長インタビュー
 
 
 
 
 
 
 
 

ラブ電について 
 

 ラブ電は、かつての宿場町である茶屋宿から、名峰女岳の登山口までを結ぶ観光鉄道です。もともとは宿場町の茶屋宿とちりめんの産地である愛野を結ぶ目的で、愛野鉄道として茶屋宿〜愛野間が開業しました。しかし、世界恐慌により絹の値段が暴落、愛野鉄道はたちまち苦境に陥ったといいます。その結果、花月電鉄(現在の花月急行)に合併され、花月電鉄愛野線として再出発しました。 
 戦争中は、八瀬川の砂利輸送を目的に、追分から七瀬までの七瀬線を突貫工事で開業しました。七瀬〜茶屋宿間を貨物列車がピストン輸送で砂利を運んだそうです。 
 終戦後は花月急行の一支線としてつつましく営業を続けていました。しかし、花月急行は線路の幅が1067ミリ、愛野線は1435ミリで電車の直通ができず、事実上愛野事業部としてなかば花月急行からは距離を置いた関係にありました。しょせんは外様です。 
 1986年、関東電力の電源開発とレジャーブームを当てこんで、愛野〜登山口が開業しました。この区間は女岳の急斜面にへばりつくように走る日本屈指の山岳路線で、車両も好景気を背景に最高の装備を施した新型1000系を大量投入しました。また、この時期に放映されたドラマ『愛は雲を越えて』が愛野地方を舞台にしたこともあり大ブレイク。ラブ電は開業以来の好景気に沸き立ちました。 
 しかしバブル崩壊後、レジャーブームは海外へと動き、国内観光地冬の時代となりました。夏のハイシーズンこそハイカーや登山客でにぎわいますが、年でならすと輸送密度は3000人台。1997年の愛野ヒルパイク道路の開業は、愛野線に大ダメージを与えました。 
 そんな中で1999年、愛野線は分社化され、愛野電鉄として再出発をしました。2003年には映画『愛は雲を越えて2』が愛野を舞台に製作され、わずかながら観光客の入れ込みが増えました。しかし、それだけではジリ貧になるのは必死です。 
 そこで愛野電鉄は愛称を「ラブ電」と定め、愛野地区全体を「ラブの町」として、手近なデートスポットとして盛り上げようと今に至っています。 

 愛に酔う町、愛野へは、ぜひラブ電をご利用くださいませ。
 

愛野電鉄/サマンサ 2005
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